1945年東京品川、立会い川駅の近くで生まれた者が、足尾の山の中で「炭焼きの子」として育ち、住まいは切幹と言う集落に構え、その集落の変貌ぶりのページです。今は「国道122号線上の橋」と化してしまった「その住まい」は18歳まで過ごしました。懐かしい地「切幹」です。
その地「切幹」の変貌振り
ふるさとは忘れる事の出来ない心の原点!18歳まで住んでいた場所「現在は道路」です。下の写真とよく比べて下さい。
当時、このような場所に住まいは位置してその住まいからは足尾線の通る姿が良く見えました。懐かしい地点です。1998年当時、まだ工事中ですが、左に写っている鳥居も下の写真のように「住宅との間隔」はあまり差が無く、立っていました.
反対側から見た「当時の住宅地点」を書き込みました。左に見える建物はお稲荷さんです。今は新しい橋となっていますが、すぐ崖で庚申川でした。
庚申川に掛かっていた左側の御影石橋は、現在の橋と見比べると、非常に小さかった橋である事がよく分かります。
18歳まで住んでいた当時、下の写真の様に「鉄橋を渡るディーゼルカーや蒸気機関車」が日常的な風景でした。書き込まれたイラストの住宅の窓から、いつも眺められたのです。この写真を見る限り「タイムスリップ」したような気分になり、昔を想い起こすワンショットです。
住まいの横には畑があり、それより先は石垣で、切り立った崖そしてすぐ庚申川でした。
 ガキ大将でよく遊んだ思い出のお稲荷さんは?
住まいの北側はお稲荷さんが建って、ここは子供の格好の遊び場となりいたずらも鬼ごっこもと、お世話になった場所です。
このカラスは前の山で中学3年の5月に直径1メートルもある樅の木のテッペンに巣を造っていたました。その巣からまだ目も開かない「雛が3羽」いたのでそれを捕獲し、そのうちの1羽です。2羽は友人が欲しいと言うので譲り、しかしその友人はすぐ死なせてしまい、私は上手に育てました。
このカラスは5年ほど生きて私に良くなつき、「カラスは賢い動物」の実感を味わいました。今思いますと「犬より利口」な動物であったと思います。色々なこのカラスに付いてはエピソードがありますが、写真は夏休みで「下草刈」のアルバイトに出かける前の「カラスと朝の戯れ」のひと時です。
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