Harley-Davidson Jyuku
晴旅人尊塾
旅人はお天道様を敬い尊び、晴れた日を最高!と歓喜し雄たけびをあげる
クリックで20歳の頃が・・・・その変貌振りを!
1994・01.19
平成6年1月19日〜会報57号掲載
すがすがしい初春をお迎えの事とお喜び申し上げます。
バイクに乗っている時、また、手入れをしている時、私には一人の友の姿が思い出される。その友は22歳と言う若さで返らぬ人となってしまった。富士登山の帰りにキャンプ地で逝った。彼は農家の長男で酪農を中心にして経営を興そうと希望に燃えて真剣に農業に取り組もうと4Hクラブのメンバーとしてもリーダー格として期待され、山が好きで夏になると良く、あっちこちのキャンプ地を仲間と一緒に歩いていた。私とも良く将来の夢を語り合った。
友であるが故に気も合えば時々、喧嘩もした。夜になると良くサンライト(自転車にエンジンを付けた自転車バイク)に乗ってトコトコと遊びに来た。遅くまで酒を飲み交わしながら希望に燃えてまだ見ぬ酪農経営の夢を語っていた。丁度、その頃、彼の家では牛舎を作っていて酪農経営の第一歩を踏み出した所だった。
その夜も私の家で蚊に刺されながら、話をしていたら何かの意見の食い違いから怒って帰ってしまった。謝ったが聞き入れられずに、それから3日後、彼の訃報を知らされた。
どうして信じられようか!あの時、喧嘩別れではあっても、友ならば又直ぐに「おい居るかい!」と来るが。・・・・・・でも彼は帰って来なかった。富士登山の帰りのキャンプ地の湖で、友達とボートに乗りオールを流されそのオールを拾おうと、飛び込んで水の冷たさに痙攣を起こしそのまま「俺は駄目だー!」と叫びながら湖底に沈んで行ったとか。
彼の話を聞かないまま、この世の別れになるなんて誰が信じられようか。その後、ダイバーによる捜索、家族の必死の願いも空しく彼は帰って来なかった。遺体も上がらずに。
あれから30余年の年月が経ち墓前で祈る時、彼の思い出が甦って来る。私の脳裏には、あの希望に燃えた力強く熱っぽく将来を語っていた彼の姿が、当時の姿のままで、いつまでも生きていたら。
いつもバイクを乗り出す時、彼が生きていたら仲間になって一緒に走っているだろうと、あのサンライトで駈けている姿がハーレーを乗っている姿とダブって目の前に浮かんで来る、彼の笑顔と一緒に。
なかよし倶楽部の皆さん、今後ともよろしくお願いします。
2010年2月9日、母の永眠
2月8日、母を亡くしました。93歳3ヶ月余り。体重が35kgにも満たない小さな体で、良く頑張ってくれました。今まで本当にご苦労さまでした。
約3年間、闘病生活の末に、小さく息を引き取りました。苦しみも無く眠るが如く静かに・・・・
小さな、小さな、母が、大きく、大きく、私を見守って、包んでくれています。その教えを、私たちが生きなくては、と自覚させられます。
過日、母が元気な頃のことです。車庫からバイクを出してエンジンをかけると、決まって玄関の外のひだまりへ、杖をついて出てきて眺めているのです。
「寒いから戸を閉めて中へは入んなよ!」と再三、言っても「おめぇがな〜、そんなでかいオートバイに乗るのを見たくてなぁ〜。」と心配そうに見送るのです。
そんな姿が今、思いでとなって、懐かしく甦って来ます。その母は、もう心の中にしか居ません。そんな母の愛を背に負い、安全運転を心掛けて走り続けたいものです。
そんな思い出が、一杯浮かんできて胸の中が溢れそうです。     合掌
塾長コメント
2007年現在、ハーレーはサイドカーを含めて「三台所有」しているが、仕事の多忙さと「人助けボランティア」が土曜日曜に集中し、倶楽部行事に参加出来ず・・・・・。しかし年会費はいつも頂き「ごっつあん」です。
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