人生120歳!120歳!
健康哲学
長生き健康三無い主義とは
食べ過ぎない!欲かき過ぎない!ものぐさしない
現役で世界を股に駆け飛び回っているすごい方が!それが昇地三郎さんです。2009年10月現在、103歳です。日野原重明先生よりも7歳年上で、健康な身体を維持続けている方、これは大変な努力で、並大抵の事では出来ないが、しかし、努力で120歳まで活きる事が可能!と元気付けさせる「希望の星」です。目指そう、元気で120歳!です。
103歳、昇地三郎先生のメディア記事
2009年11月16日東京新聞
113歳、男性長寿日本一の木村次郎右衛門さん
2010年4月20日朝刊
健康日記2ページへ2010年6月5日以降
目が覚めると口には酸素マスクが、そして看護婦さんが寄り添って心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

どのくらい眠っていたのだろうか、まだ勝手が把握出来ない私は、ただ「ボーッ」とレントゲン検査室の天井を仰いでいるだけだった。

何が起きたか看護婦さんに、その時の状況を聞きだし、様子が分った。
主治医である田中先生は、太くて長いポンプスタイルの注射器を私の左手血管を浮き立たせ、その先端をまるで得物を狙うかの如く、そこに突き刺した。
痛い!と一瞬だが心の中で叫び声を上げたが、そんな事は無視するかの様に、容赦なく注射器に圧力が加わり、その検査の為の造影剤は血管に注入されて行く。
今日はいつもの血管への造影剤注入がやけにスピードが早いなぁと思いながらその注入が終り「ホット」した束の間に、突然、嗚咽が始まり、造影剤注入準備の為に昨夜から一切の食べ物を喉に通していないにも関らず、その嗚咽は何度も何度も繰り返し、その内に意識が遠のいて行くのである。
「アッ俺の人生はこれで閉じてしまうのかな」と・・・・・

そうしている内に検査室は怒号とも取れる大きな声やざわつきを感じながら、主治医である田中先生が「スズキ春雄さん、大丈夫?」と声を掛けられるのだが、苦しさと薄れる意識に恐怖を抱きながら記憶はそこで途絶えるのでした。

それから何時間経過しただろうか、意識が回復しベッドの横には酸素ボンベ、そして酸素マスクを装着している自分を見つめて、事の重大さに気付くのであった。

その後、その先生から事情の説明を受け、造影剤の『急激なスピードで血管注入』が原因でのショックと、その結果意識を失い、危険な状態に陥れ、大変申し訳なかったと謝罪の言葉を何度も何度も繰り返すのであった。
実際、この時代は造影剤の血管注入でショックによる「医療ミス」が起きて死に至る事例があり、その時の田中先生の動揺は想像をはるかに越えていたに違いないと、先生の心理状態を察する事はその謝罪の中に現われていた。

またこの当時、血管からの造影剤注入はごく当たり前の手法で過去に何度も行っており、私もこんな事になるとは予想もしていなかった。

私は元来、腎臓に石が溜まり易い体質で、この「石」には何年も悩みされ続けてきた。中学生の頃から朝起きて一番、コップ一杯の水、は常に水道水を飲用しており、今から思うとこの「水道水飲用」が要因だったかなと思うのである。

まだ27歳の頃、腹痛が時々起こり、その位置の特定も出来ず、再三その事は起きるが別段、気にも留めていなかった。
ところがある日の早朝、突然激痛が走り、これは胃痛かと家の備え付けの胃薬を飲んだが、一向にその効果は上がらず、その痛みは治まるどころか、更に激しくなるのである。

単なる胃痛であれば寝返りで少しは痛みが和らぐのだが、それはシッテンバットウ状態で、どうする事も出来ない痛みで、救急車出動依頼となったのだが、その痛さには吐き気が伴い、その車中では吐いてしまう始末、ただ痛さに耐えて「ウーン、ウーン」と唸るだけであった。

この痛さは体験した者で無い限り、なかなか理解されないが、救急車で運ばれ、その時の医者の診察結果は「腎臓結石」であった。

近年でこそ低周波による振動で結石の爆破で細かく砕いて尿と一緒に排出し、苦しまないで済むが、しかし、27歳の頃はそんな医療機器は無く、その治療は腎臓に潜んでいる石を、毎日毎日、薬を飲んでその石を溶かし、少しづつと小さくして尿道から排出、又は大掛かりな手術を施して石を取り除くと言う2通りしか方法は無かった。

手術はその経過が良くない場合場多いと言う理由で、医者が勧めず、薬を毎日飲んで溶かす方法を取る事にした。

これが排出するまでそれは苦しみの連続であった。腎臓に溜まっていた時1.5cm程の大きさで、それが小さくなり尿道に入り、それが移動する度にその「激痛」は起きるのであるが、その痛みには2年間苦しみ、やっと排出できた。

しかし、天は悪戯が好きで、この痛みが31歳の時に又、起きるのである。この現象は体質的に何度でも発生し、また毎日の薬での溶解である。

大きさも前回と同じでその激痛は処構わずと苦しむのである。2年間かかり最後に排出寸前、私の一物の先端にその石は引っ掛かり、手で割れ目を開くと見えるのである。

そこからなかなか出ようとせず、ピンセットやペンチ、そしてプライヤーでと、最後はプライヤーをその割れ目に押し込んで、その石を挟んでやっと取り出した。こんな落ちがついた石、もうコリゴリで、結局この石には27歳の時から2年間、そして31歳で2年間と通算で4年間も痛みに苦しんだ事になる。

もうこんな痛みは二度と経験したく無いと毎日の朝一番、コップ一杯はミネラルウォーターに、そして誕生日には「石の検査」を毎年行ったいる。

その検査で医者の不注意による「死の寸前」を経験したが、現在の造影剤注入は点滴で1時間ほどじっくりと時間を掛けて行われ、それでも当時の恐怖がトラウマとなって「息苦しい」と感じてしまうこと度々である。

三途の川を渡りかけたのはこれで何度目であろうか・・・・・
パソコンが一台、オジャンと「ご臨終」です。

いつも私の机には3台のパソコンとそして別な場所にノート型一台が稼動して、仕事の内容で使い分けています。

ノート型を含めて3台は自分で組み立てたものでCPUも含め、当時、一番の計算スピードの速いパーツ類を使い、完成させた経緯が、今でも充分に機能が発揮され、当然、スピードに於いては勿論の事、不満が無い。

いずれは動画等の時代が来る、と想定してのパーツ選択で組み上げた事が今の時代に即応していたのだろうと、またそれは間違いではなかったと自負しています。

ところが4台のうち「ご臨終」と称する一台のパソコンは、一番新しくこれはメーカーの汎用品で、これがイカレルとは夢にも思いませんでした。

使用中、突然ハングオンして「パチっ」と音を発し、液晶モニターが真っ黒画面と、これはただの故障ではなく、パソコンの主要パーツの一つがパンクで機能不全、全く使えなくなってしまったとその一台は諦めてしまいました。

たかが3年一寸、寿命かなとは思えませんが、バラして原因を確めたようと思っています。

最近は通信販売で「デル」の製品がリーズナブルで出回っていますので、今度はこの製品に決めようと、しかし、メーカーで造られたものはこんなに早く寿命が繰るとは予想せず、一寸、悔しい気もします。

10年前はパソコンのパーツを求めて秋葉原界隈をよくうろついていました。その頃が懐かしく思います。メモリーも同じ物が店により、価格が違い、より性能の高い物、一つでも何箇所かのパーツ屋さんを回り、休日の1日を費やす事、度々でした。

パソコンの本も次から次へと購入し、その雑誌も見る見る「山」と化していくのです。あるとき、その「山」を見て、これでは切りが無いと気が付きそれ以来、パソコン雑誌は≪本屋で立ち読み一辺倒≫と方針変更でした。

何でも嵌まるとそうですが、組み立てパソコンもご多分に漏れず、もう病気の領域です。最低でも1週間に2度は本屋で新しい情報を目にしませんと不安で夜もおちおち眠れない!と冗談とも本気とも、事実は奇なり!で、パソコン情報中毒状態でした。

今でもそうですが、パソコン分野の移り変わりは激しくて、毎日の如く、その電子部品の動きを把握していませんと、1週間でも目を離すと、もう分らなくなってしまい、その分らなくなってしまうことが恐怖なのです。

本来「凝り性」ですが、さすがこれには異常と、自分で気が付き、これは楽しみではなく、苦しみと、思うようになりやっとその中毒から解放され、それは4〜5年前の事でした。

それ以来、一斉、組み立てパソコンから足を洗い、いまはパソコンの雑誌に見向きもせず、本屋でその陳列棚の前を通る時、もうパソコン業界の電子関連パーツは様変わりしたんだろうなぁ〜と思いながら、その場所を遠巻きにして通り過ぎるのみです。

ただ時々、その本を手にして読んで見たい!と言う衝動に駆られるが、またハマッてしまう事がトラウマとなり、クワバラクワバラとその場立ち去るのです。

今、この日記を刻んでいるパソコンも組み立てたから10年以上も経過し、その本体を稼動しています。
古くても信頼性があり動作スピードも昨日、ご臨終のパソコンに引けを取らず、そして稼動している時間も一番長く使用しています。

それに比べ、使用頻度が低かったメーカーの汎用品パソコン、ボロと私にとってはと言わざるを得ません。

ただ購入価格が高かったのが悔しい!と・・・・・・
今年の春は関東地方に於いてもう終わりです。山々の木々はすっか春独特の萌え色は消えうせ、濃い緑になりかかろうとするシーズンに突入、そして今日、6月1日は夏の装いに向かう、衣替えです。

例年の如く、今年も同様ですが、春になると「花」を求め、その美しさの感動を得るが為に花見のお出かけしました。

花を見て、嫌い!と言う方はまず存在しないと思っています。花は幼き頃の「感性」を維持する有効な手段と、年を召されると五感の鈍りは明白で、その鈍りを少しでも退化することを防ぐ手段の一つと思っています。

今でも好奇心は一向に衰えず、どの様な事でも興味津々とつい覗きたくなる≪出歯亀さん≫振りを発揮していますが、この好奇心が薄れた時、人生は終焉に近づいたと考えられるのです。

その終焉は120歳と、自分に常に言い聞かせ、また医学的にも科学的にもそれは可能と証明され、常日ごろ唱えています。120歳近い健康で、その見本と言うべき方が存在し、日本では100歳を超えていらっしゃる方が4万人存在して、ある面ではその裏づけにもなっています。

人の感性はその終焉まで維持すること、そのことは大変重要で、美しいものを眼に入れたとき、いかに心から感動し、胸のときめきを、その動揺を、得て居られるかが「感性の終焉にならない為のキーワード」と思っています。

身近にそしてどこででも見ることが出来る「花」はこれは有難い。
どんな野草でも、花の無い時期には醜い植物であっても、一旦「花」を身にまとうとそれは輝き出し、人々の目を楽しませてくれるのです。

毒のある植物ほどその植物が咲かせる「花」は美しいと、言われることがしばしばです。しかし、この日記では「毒」であろうとなかろうと、その花が持ち合わせている本質の「美しさは」は美しさに変わりがありませんと・・・・・

どのようなものでも美しいものに人々は憧れます。自分自身も美しくありたい!と願うのは万人の想いと永遠に追い求める課題と、言えるのではないでしょうか。

花はそんな人々の追い求める課題を満たして、また癒してもくれる、この世の唯一の心の拠りどころと、具現化した「自然の産物」と思えるのです。

品種改良し更にはその美しさを際立てる技術で、自然体であった原種からは進化し、より人々の目をより楽しませるジャンルは更に、進歩を遂げ、これも永遠に続いていくものと思います。

しかし、何の手も加えず、本当に「自然体」で充分に美しく人々を感動させ、満足させるそれらの花は、手を加えられたものであろうが、無かろうが、一切関係なく感性は刺激を受け、美しい!と感嘆するのです。

今年も春先、花巡りのお出かけは、宿泊、日帰りとかみさんを引き連れ、よく出かけたもんだと自己満足する事しきり、しかし振り返るとそれぞれ特徴ががありました。

今年の天候不順を象徴するかのように「時期が早くて当てが外れた」と言う事もありました。
逆に、天候不順のおかげで花の寿命が延び、最高だったという事もありました。良くも悪くも「花」は自然の力に左右される植物!改めて感じることになるのです。

日記にしたり、しなかったりとその日の気分ですが、それでも「花」に憧れてそしてその美しさから「感動」を得るが為に出かけのでした。

3月14日・・・東京青梅市の梅「吉野梅林」

4月8〜9日・・・長野、高遠城址j公園「コヒガン桜」
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4月13日・・・埼玉県長瀞「桜並木のの夜桜」はライトアップ
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4月24〜25日・・・秋田県角館しだれ桜&盛岡、石割桜
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4月28日・・・埼玉県宝登山神社「30種類の八重桜くぐりぬけ」、

5月4日・・・長野県軽井沢「ソメイヨシノ」と周辺散策、

5月9日・・・群馬県館林「つつじの花」&狸の分福茶釜・茂林寺

5月18日・・・栃木県足利市藤の花、フラワーパーク
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5月26日・・・群馬県前橋市「バラ園」〜伊勢崎市「芍薬園」

と甲乙付け難い感動の花巡り、これから秩父の「はすの花や菖蒲園」と6月に入っても楽しめそうです。

今年は例年と様子が異なり、かみさんの体調次第で、北海道車中泊の旅が待ち構え、予定では6月15日頃からが北海道は「花が見られるベストシーズンに突入」と言われていますので、その期待に胸を膨らませて準備する今日1日、6月に入りました。

更に心の感動、そのメディアは「花」と、そしてその感性を研ぎ澄ます役割、手段が「花」と、その自然の恵みに「感謝」です。
これは5月23日、夜の出来事。

廊下で「バタン」と言う物音がし、何の音だろうと音が聞こえたところに足を運ぶと、老体に鞭を打ち今まで元気であった、太郎侯が突然、倒れているではないか。

あわてた家族全員がその「太郎」のそばに駆け寄り、その様子を直視し、驚いた。

左半身は痙攣で、体全体が振るえ、後ろ足は「硬直」し、口からはユダレを流して目はうつろである。

これはただ事でない、本来なら「救急車の要請」であるが、しかし、この状況はなるべくしてなったと言う結果である。

生まれながらにして「美食家」の太郎は、いつも良質の霜降り牛、そしてマグロのトロが一番の好物で、本来の摂取すべき食事には目もくれず、ただただその我がままを通して今日に至った。

倒れる前の体は「メタボを絵に描いたような体型」で、それはそれは見事なものであった。

顔は豚ではないが、体つきは「これこそ本物の豚公」と、自らが、
ワレは豚の仮面をかぶった生き物なり!と自慢をしたいようなそぶりであった。

何度もその食生活には疑問を呈し、助言を与えたが一向に聞き耳持たず、生活習慣見直し改善を行おうなどと微塵も欠片も無しと、我れながらあきれ果て、いずれは糖尿病と言う恐ろしい結果が待ち構えていることは明らかと思っていた。

それが突然、23日の夜に倒れてしまったと家族から聞いたのである。それから1週間、その後の「太郎侯」は如何しただろうと、その家を訪ねてみるとそれは驚いた。

病に伏せた太郎は「左半身不随」で、その後ろ左足は水が溜まり、正常時の何倍もの太さに腫れ上がり、また第五の足「尻尾」の先は壊死でこれも、大変な様相を示していた。

目も殆ど見えず、食事もただ水を飲むことがやっとで、俺様は豚なり、豚公で何で悪い!と大見得を切っていた元気な面影はどこへやら、あれだけのご立派であった「メタボ大明神」の面影は、やせ細りあばら骨がむき出し、そして顔の頬はこけて、見る影も無いのである。

オシッコも便もお尻は垂れ流し、そのためにオムツをかい、あの元気な当時が嘘のようであった。

ベッドに横たわり、肩で息を吸う姿を見た私は、これは時間の問題と、16年の大往生かなと、しかし壊死した尻尾は毎日、腐敗した肉片の治療を行うが、それは無残なもので、ガスを放ち、その臭いが可愛がっていた飼い主でなければ耐えられないほどの悪臭で、その部分を鋏で切り落とし、ガーゼや消毒液でその治療の毎日の事と話していた。

もう少し早い時期にドッグの「お犬様ドッグ」を受けさせればよかったが、仕事でご多忙なその家族、なせるがままにして置いたツケがこの始末と言わざるを得ない。

この成り行きは犬も人間も同じと、これを人間様に当てはめたらそれは、大変、見事なサンプルと、糖尿病の「終着駅」行き着く姿と思うのである。

日本には糖尿病患者やその予備軍も含めて2200万人、4人に一人に及ぶ、と厚生省のデータが示しています。

私の友人も53歳前後7人程がこの10年間で命を落としている。決して人ごとでは済まされず、糖尿病を患い合併症を発症し、尊い若き命が失われているこの現状、私自身、良い生活習慣が見についてはいるが、いつもその警鐘はしっかりと胸に刻み込まれている。

話は16年も家族の愛を受けたワン公「太郎」ことビーグル犬の話であるが、その家族はその「太郎」からどれほどの癒しとしての恩恵を受けたか想像しただけでも計り知れない。、
その太郎に感謝、ありがとうと飼い主は涙を流していたが、あとは飼い主の厚い介抱の元で、その飼い主に抱かれて逝くことが一番の幸せと、言っていた。

私はその壊死した尻尾の治療様子を見て、糖尿病の恐ろしさをまざまざと見せ付けられ、私自身、生活習慣病の怖さを更に認識した次第である。
糖尿病は症状がすぐ目に現れる、と言う話をよく聞き、また「壊死」は細胞が破壊され、自己の肉体が腐る!と言う症状、この太郎の治療を覗きながらその恐ろしい事、人間もこんな風に腐るんだと・・・・・

人も犬も同じ結果が生じると、また警鐘の意味でよいサンプルを見せて頂いたとその飼い主に感謝するのです。ありがとうと。


実を言うと、犬を例に出しているが、本質は「人間さま」を風刺している部分もある。
友人が「生活習慣病」で倒れており、これを読んで頂いて、貴方自身は如何でしょうかと、
2200万人の内に入っていなければ良いが、その対象ではありませんか?と問いかけている部分もあり、そして大きなお世話!の日記でもある。
ニコニコ笑顔は人生の救世主2010年5月26日
笑顔!

笑顔が大好きです。人の笑顔ほど「感情」を表しているものはなし、といつも思います。

顔のメンテナンスでも記していますが、
http://smcb.jp/_ps01?post_id=1879181&oid=14051..

パートU
http://smcb.jp/_ps01?post_id=1953718&oid=14051..

全ての方々、人種も国も一切垣根を取り払って、ことば以上に『笑顔』は、心地よいその人の感情を知ることが出来る唯一のメディアと常々、解釈しています。

朝、一番、鏡を見て「今日の顔のコンデショニングは如何かな」と・・・
自然に生まれる笑顔かな?それとも少し造作をしないと自然の笑顔になれないかな?と、色々な百面相運動で始まる1日のスタートです。

私は物心がつくころから「春ちゃん笑顔すばらしい」と、いつも褒め続けられて来ました。
またつらい時には極力『笑顔』で取り繕い、心で泣きましたが、その良い習慣が今でも体に味についている唯一、自慢出来るところです。

幼き頃、いじめられても「ニコニコ」と、そして時には馬鹿にされても「ニコニコ」と、このニコニコ笑顔は、時には自分にとって不都合が生じたとき、どれほど有益にその場をしのげたか計り知れない「ニコニコ」と、またそのニコニコ顔に助けられました。

それが遺伝子の如く、体に染み付き、それが抜けきれません。いつも笑い顔で「迫力に欠ける」のが気になるところです。
その迫力に欠けるが為に「プロフィールのサングラス写真」はその演出です。
http://www.ne.jp/asahi/azu/sin/azuma/jibunn.htm

体に染み付いた「笑顔」は、普段の顔が「笑い顔」として定着し、しかし最近、かみさんに「怖い顔する」と時々、注意を受けこれはマズイ、唯一の自慢が笑顔、これでは台無しと反省することがしばしばあります。

歌の文句ではありませんが、君の笑顔が好き!と誰の笑顔でも笑顔のすばらしさは万人が認め、その笑顔一つで人格まで判断されてしまう場合、決して珍しい事ではありません。

喧嘩が大好きでその喧嘩の武勇伝を父に聞かされ、
http://smcb.jp/_ps01?post_id=1928248&oid=14051..

また宴席で喧嘩を目のあたりにした幼き頃、その恐ろしさを見て、大人になったら喧嘩は絶対してはいけないとその光景はトラウマの如く、それは「笑顔」であれば誰からも敵対視されないと言う、幼き心の処世術のいじらしい素顔であったであろうと今に思うのです。

営業畑で仕事をした長い年月、どれほどその「ニコニコ」は周りの方々を煙に巻いたか、営業畑でのビジネスには大変、そのニコニコは有効で商談成立と言う契約に貢献したかは想像以上の出来栄えでした。

仕事先で良く言われたことは、春さん、どうしていつも「ニコニコしていられるの、とその秘訣をご教授下さい。

また「春さんのニコニコは本当にうれしそう」と・・・・・

このうれしそうな「ニコニコ顔」は、幼き頃、近所のおばさんにも有効でした。

春ちゃん、春ちゃんのニコニコは、嫌な事がどこかにいってしまうからおやつを上げようと、時々、うれしい笑顔を見せてはおいしいおやつをねだること、度々でした。

これにしっかりと味をしめて、この手を使うことを覚えた幼き子は、知恵を働かせ「悪がき」へと進化したのです。

しかし、多くの近所の大人はそんな知恵を働かせているとは夢にも知らず、おやつ欲しさに、次々とニコニコ運動で大人を騙し続けた遠〜い過去のお話です。

ニコニコ笑顔は自分と向き合う相手にも好印象を与え、大嫌いな喧嘩にもならず、いつもフレンドリーにいられるとその技を認識したのはいつの事であったか定かではありません。

しかし記憶として5歳くらいの事であっただろうと、母親が私をダシに買出しに引き連れて歩いたのは3歳の本当に幼き頃で、もうその時から「笑顔の処世術」が身についていたのかも知れません。

ただ人を騙す手法として笑顔が生まれたのではなく、母から頂いた遺伝子と、母の笑顔もすばらしいものがあり、私自身、その母の笑顔にうっとりとすることがあったと記憶するのです。

その笑顔が大好き!でその笑顔も魅力の一つとして一緒になったかみさん、そして唯一自慢のニコニコ顔、二人とも笑顔は太陽と、そして誰からも愛される更なるニコニコ顔がこらからも進化し、120歳まで続けようと思うこのごろです。

ニコニコ笑顔で嫌な事は『封印』と思うのですが、なかなか困難な事です。

写真は最近のかみさんと嬉しい笑顔の一つですが、まだ笑顔率60%というところです。100%うれしい時はもっともっと顔のデザインが崩れてしまう。
誹謗中傷、イジメはエネルギーの源2010年5月25日
世の中、色々な考え、そして色々なタイプの方が存在して実に愉快で楽しいと常々、思っています。

人は顔かたちがそれぞれ異なるように、考え方が異なって当たり前、それを自分の思考に当てはめようとするから「摩擦」が生じてくるのです。

しかし、この摩擦も人が生きていく上で、営みとして必要な事。人の振り見て我が振り直せ!という諺があるが、人の振りはどれほど人生を歩んでいく過程で勉強になるか計り知れない≪教育の一つ≫です。

そんな営みでは自己主張し、時にはその摩擦の真っ只中に乱入し「議論」という自己舌鋒の宝刀を振るう場合もあります。

しかし議論の勝負に関係なく、必ずや思考の食い違いで非難、誹謗、中傷そして陰険なイジメと、その思考が正論であってもその輪の中で少数意見だったりすると特に「ブーイングの大合唱」と言う現実に直面する事になるのです。

ここでは多くの場合、自分で納得し「まっ、いいか」と自分に言い聞かせ矛先を収めてしまうのが大方の日本人です。

それを象徴する言葉「長いものに巻かれろ」と、長年培ってきた生活の知恵、処世術の極みの一つとして捉えられていました。

しかし、近年は長いものに巻かれろ!等という言葉は風化し、死語となり、遠い過去の言葉になってしまいました。

自己主張し、自分の考えを、思考を、ドンドンと押し通すのが、その人のパーソナリティとそれが評価される時代でもあるのです。

自己主張は大変重要な事ですが、これが思いも寄らぬ方向に行く事も現代です。

それは自分の考えと異なると、その相手に対して何とか説き伏せてその考えを同一にしようと、試みるのですが、しかし思想は簡単に曲げられないのが人の常、です。

問題はこれからです。

その主張がその人間に通らないと分ると、誹謗、中傷、そして陰湿な嫌がらせと、色々と手の込んだ工作を行うのです。

笑ってしまいますが、そんな工作を考える前にそのエネルギーを別な有益な面に費やしたら、と思うのですが、ここに一方的な思い込みが生じてエスカレートする一方となるのです。

こんな局面が訪れた時の対処はいつもその工作する方に「感謝の念」で望むのです。

私の場合、それはその方のエネルギー全て私に頂けると、感じるからです。
その方が勝手にエスカレートし熱くなればなるほど、その方のエネルギーは私が頂ける!と信じているのです。

現実にそんな局面は今までの人生65年、歩んでいた中にどれほど「エネルギー頂いたか」想像も尽かないほどの量であり、高エネルギーです。

思想のぶつかり合いの場、政治関連の議論に於いてもしかりでした。特に政治議論はエスカレートの象徴と思えるのですが

政治論議を今年に入り、封印したのも、楽天思考人生に反し、誹謗、中傷の「るつぼ」かと、このような理由でストップでした。

余りにも多くの方から感謝の念によるから「パワーの頂き過ぎ」と、これでは申し訳ないと思い、また政治論議ばかりでもありません。

どのような事に於いても、私に対しての非難、批判と言う逆風は全てのパワーが頂けると信じて、またその方が持ち合わせているエネルギーは私が頂けると「感謝、感謝」の気持を抱いてまた信じているからです。

どうして陰湿なイジメや非難、誹謗中傷などの逆風が「嬉しくなる」のか分りません。
現実に感謝の心が生じ身体にも異変が生じて、エネルギッシュになれるから不思議です。

これをお読みになった方、自分にとっては不可解な納得のいかない現象は全て「自分にパワーが与えられる」と思い、相手を恨む事も無くむしろ「感謝」する気持になることが寛容と思うのです。

そのとき、身体からは一瞬の内に≪嫌〜な思考≫が消えていきます。どんな事があっても「感謝、感謝」の発想です。要は考え方で強い自分に換えられる秘訣です。

一寸した思考の変換で相手を恨んだり嫉んだりすること無く「感謝」で、パワーが頂ける。こんなうれしい事は無いと思います。

人を恨む前に一寸待てよ!と一服してあっそうだ、エネルギーが頂ける「感謝」だ!と・・・・・

私の場合、以下の体験で少なからずイジメを、物心つく頃から受けたその処方術かもしれません。
http://smcb.jp/_ps01?post_id=1975974&oid=14051..

火傷時の状況
http://smcb.jp/_ps01?post_id=1982762&oid=14051..

こんなエネルギーが頂けるのも感謝のおかげと
http://smcb.jp/_ps01?post_id=1960684&oid=14051..

火傷させ悲しんだ母と親父との生活をちょっぴり
http://smcb.jp/_ps01?post_id=1928248&oid=14051..
火傷を負った時と同じ状態の頭部で現在に至る!と捉えている方がメールで感じられましたので、その誤解を解く為に記させて頂きます。

それはすっかりと20歳代で修復し、それから1999年6月までその修復状態を維持していました。ただ修復とメンテナンスで家が一軒、建つほどお金が掛かったと・・・・

現在のスキンヘッドは、

これも少しでも時間が遅れて病院で診察してもらわなかったら「手遅れ」と言う、脳の病で、診察と同時に「即手術」と言う緊急性でした。

この時の初期症状は、突然「舌が回らない」と同時に「手が痺れて、自分の身体にある手」ではなく、自分の正面の先から出ている手の感覚を受けました。

この感覚は何だろう?と思いつつ、営業活動をしていたのです。しかし、ろれつは時間が経過すると更にひどくなり、これはヤバイと思い自分で車を運転し専門の循環器総合病院へ行ったわけですが、その後は上で記した通りです。

手術は1999年6月でその後はこのスキンへッド状態です。実はこのスキンヘッドは3日、やったら止められなくなり、今日に来ています。

この1999年6月以前は「火傷事件と母の苦しみ」の日記でも、悩みだした20歳以降、数度の手術をほどこし3分の1、焼失してしまった頭部の皮膚、髪の毛は回復していたのです。

ただ手術やその後のメンテナンスで大変なお金が掛かり、色々とドラマがありましたと記していますが・・・

それでも27歳で1戸建て住宅を入手し、車は何台も破壊状態の「事故」を起こしたりしたプロセスがありました。

その分、人の何倍も身体を動かし、そして知恵もフル回転で稼いだのです。

事故経緯はこのサイトで
http://azusin1.fc2web.com/kurumareki2/kurumareki2...

振り返ると、苦しんだと言う記憶は無く、楽しかったなぁ〜の思い出だけが脳裏に焼きついています。
死に物狂いで働いて、その結果、全てが今の私にパワーの源として蓄積されたと信じています。、

現在は30歳代当時の身軽さと、疲れを感じないそのパワーが今、発散しているエネルギーと思っています。

自己暗示は大切であり、自分にとってポジティブな自己暗示、それはエネルギーが又エネルギーを生むと思いまた信じています。

クヨクヨと悲観的な思考は、その悲観のるつぼに嵌まり、脱出できなくなる。苦しみの時はただ前を向き先へ進む事が唯一の救いとしか考えません。

脳手術の原因

過去に何度も自動車の「破壊事故」で、頭部に衝撃を与え、それが原因で「頭蓋骨と脳硬膜の間に血液が溜まる病気」です。
少しづつ溜まる為になかなか気がつかない。

手術する1ヶ月前に頭痛が激しかったので、脳外科専門総合病院で「脳ドック」を受けたが、その時に見落とされ「脳には異常がありません」と診断された。

しかし、1ヵ月後、手の痺れやロレツが回らない等の症状が発生、脳ドックを受けた病院はダメだ、と感じて他の病院に行き、それが良かった。

症状を発見でき、緊急手術を施す処置が取られたが、病院は「脳専門」とは異なり「循環器専門」でした。

病院は1箇所ではダメだ!と始めて認識するのです。

手術は至って簡単。

頭が固定され、その上で他のもう一人の医者が更に私の頭を押さえて固定、そしておもむろに頭部にドリルが当てられ、頭蓋骨に電動ドリルでゴリゴリと穴が空けられます。

当然、頭部の皮膚の神経を麻痺させる「部分麻酔」は行いますが、部分麻酔ですので医者の会話や様子はよく分かります。

ただ頭蓋骨にドリルで穴を開け、その振動がゴリゴリと伝わって来ると、どこかくすぐったい気分で笑ってしまいました。

医者は「脳にドリルが通達したら、もうお終い」等とジョークを言いながら、ゴリゴリとドリルを回してやっているが、手術を受けている者にとって相当の強心臓の持ち主でも「大丈夫かよぅ!」と言いたくなる。

私の場合、約400t溜まっていてその血液が脳に圧力を加え、色々と不都合な症状が出ていたのです。

頭蓋骨に穴が空いた時、その血液が噴水のように吹き上げ「うわぁ〜」と思わず医者は声を出していた。

その血液が脳から抜かれると同時にそれは「スッキリ」ととてもさわやかサロンパス状態で、さわやか気分に遭遇し、それ以来、そのスッキリ度が病みつきとなり、それは持続し現在に至っているのです。

このスッキリはスキンヘッド状態は維持せよ!と天の声に近いものがあり、スキンヘッドは死ぬまで維持だ!と誓うのです。

身体に9回の執刀!はこの他にも沢山の手術エピソードがあり、今、自分の身体の過去を振り返ると、こんな所でも「人とは異なる体験」をした、とあらためて考えさるを得ない。
これもパワーの源かな、と自分に都合良く解釈しています。
写真は19歳の時、1回目の手術後、神戸、鷹取山でのスナップ
火傷事件と母の苦しみ  2010年5月22日
終戦間もないこと、小さな村でも戦争の影響は計り知れない心の傷跡を残し、そこで営む人々の生活は苦しいものがありました。
都会から疎開しそのままその地に居座り、9歳と8歳の姉妹、6歳とまだ生まれて2歳未満の兄弟、そしてその父と母、6人家族のある日の出来事です。
まだ冬の気配から抜けきらない3月のその日はとても寒い日でした。母、千代は2歳未満の春雄が久しぶりに生まれた子供であることで、久しい母性本能の目覚めがそうさせたのだろうか、その子がとてもいとおしく、その子の可愛い眼差しは、もう眩しいくらいでした。
上の男の子と6歳、離れて生まれ、特別な思いを寄せ愛情を注いでいたのです。
近所の美代子ちゃんがハィハィする可愛い盛りの春雄を見にやって来ていたので「美代子ちゃん、一寸だけ春雄を見ててね」と、
まだ5歳そこそこの子は「ハィハィ行動」の乳飲み子と言え、5歳の子にはハィハィするスピードに追いつかないのは母として承知していましたが、
表の母屋から少し離れた水場で、一寸した用事を済ませる為、その美代子ちゃんに春雄の面倒をお願いしたのです。
「春ちゃんウンコして臭い!」と当然オムツをしているが五歳の幼子は正直に母にその事を告げに、春雄から離れ、こちらにやって来るではないか、、母はそれを見るなり、
ウワァー!大変と大声を叫びながらその水場に母を呼びに来た美代子ちゃんを見て青ざめた。
それは一瞬の出来事です。慌てて表の水場から母屋に一目散でつっ走り、駆け戻ったさなかに、「ギャァー」と叫びとも悲鳴ともつかない声がしたのです。
囲炉裏にはまだ寒さが残り、暖を取るために炭と蒔がこうこうと火を放ち、火の勢いも強くその火の威勢の中にすっぽりと、顔は上に向け後頭部が火の中に埋っているではないか!
また囲炉裏に付き物の「自在鉤」には煮い立ったお湯をいっぱい入れた鉄瓶がその我が子の顔の上に掛かっているではないか!
その母の動転ぶりは想像を絶するものがあったに違いない。後頭部が火の中に落ちてる我が子、手と足をばたばたさせながら断末魔の悲鳴をあげ、もがき苦しんでいるその様子を目にし、母はパニック状態ですぐさまその火中から我が子を救い上げたが、時すでに遅しでした。
目に入れても痛く無い、愛する我が子が、火で皮膚が焼ける独特の臭いを放ち、そして焼けただれたしまった後頭部は真っ赤に火となっている炭が付着し、それを手で払い退け、
必死でその後頭部を撫でるのでした。この撫でてしまった行為が後日、思いも寄らぬ事を引き起こすとは・・・・・
母は自分の不注意で、また5歳も満たない近所の美代子ちゃんに我が子を見てて欲しいと安易に頼んだのが、どれほど後々まで悔やむか、その時はまだ気が回りませんでした。
焼け爛れたしまった我が子の後頭部を見て、悲しみに暮れ、そして遊びから戻った2人の姉妹と兄は母の泣き姿と悲しみくれる容易ならぬ現状を見、「春ちゃんが死んじゃう」と一緒に泣け叫ぶのです。
母、2人の姉妹、そして6歳の兄、起きてしまった事はどうにもならず、しかし幼児期の中でも一番かわいらしく愛くるしい時期、母は3人の子供を育てた経験から「ハィハィのスピードが早く目が離せない」と知り尽くしていたはずが、自分の不注意でもたらした責任に苦しむのです。
後日、母の言葉は、余りにも春雄が可愛そうなのでいっそのこと一緒に死んでしまおと、何度も考えたと述べていました。
それは春雄が治癒する段階に於いて、後頭部の火傷が「やけど跡」として毛髪が生える見込みが無く、後遺症とし「ハゲ状態」は避けられないと医者に告げられていたからです。
火傷は本人に知る由もない、本来あるべきツムジを中心に後頭部2分の1は焼けただれ、親は何とか治そうとあらゆる手段を講じ、最後は祈祷師にと、その親の対処の努力にはすごく感謝するのみである。
しかしそれは組織が破壊され傷が治癒した時は、火傷独特の光を放ち、どう見ても「頭にお皿」が載った状態と、まるでカッパであった。
幼少期を知る多くの近所の方々は、その傷跡のお皿状態を見て、余りの気の毒さに同情し、母と一緒に泣いていたと聞かされました。
この傷は春雄に一生、付きまとい離れない!と思うと、我が子が成人しその時の悩みを察しそのつらい母の心、それは言葉では表せないほどの我が子に対して、申し訳なさと、自分の責任を感じるのです。
幸いな事に、その我が子は天真爛漫に育ち、そんな傷、何処吹く風かと、気にすることも無く、元気に健全に育ち、それが母にとってどれだけ救われたか、これは後日、母の談でした。

20歳頃からはこの傷に悩み、治そうとパワーを全開し、傷の修復に取り組むのだが、大変、お金のかかる事で、この治す裏にも秘めたドラマが・・・

現在までにその悩みでつぎ込んだ累積はら3000万円以上ほど、丁度、家一軒分に相当するくらいお金がかかってしまったが、今思うと「アホな事にお金を費やしたなぁ〜」とその事だけしか残っていません。
超越の心境では、そんなハゲどうでもいいことで、何でそんな事に悩んでいたのだろうとその悩みもアホらしい、と思うのです。

健康日記パートUに於いてもこの火傷事件、そして前後の出来事を回想として綴っています。
人生、心意気だぁ〜と、このノーテンキ度は何だろう。

今まで振り返ると殆んどが心意気の精神で歩んできた。これが良いか悪いかは判別がつかないが、しかし下らない事でクヨクヨするより、脳味噌の配列を少し入れ替えれば、すぐそのクヨクヨ度は一気に解消し未来が開けると確信する。


確信と言うより現実を歩んで来た。生まれながらにして他の方々であれば、絶対に「不幸」と、その二文字はトラウマの如く、身体から離れず精神も冒され、どこか屈折人生を歩んでいた事であろう。

しかし、神は人を救う!と言わざるを得ない。それは持って生まれた楽天思想が全ての「不幸」を否定してしまうからである。

以下の事を公開出来るのも脳味噌の配列換え発想はまだ健在である。

@
オギャと生まれる前の生み月、1ヶ月前の東京空襲夜、焼夷弾の直撃と言う「難」から逃れた。
http://www.ne.jp/asahi/azu/sin/asio/asio.htm

A
誕生して間も無く、はぃはぃと這い出し行動の一歳未満時に囲炉裏に落ち、後頭部の殆んどを火傷し、この時、沸騰した鉄瓶が自在鉤に掛かっていたが幸いに、鉄瓶の煮え立った湯をかける難を逃れた。

後頭部の殆んどを焼いてしまった火傷は20歳前後になり、やっとこの傷の大きさに気付いて悩む。
何も知らない当時に受けた火傷であった為、その火傷跡について持って生まれたものとして、その20歳前後まで殆んど気にしなかった。これも楽天思想のノーテンキさが幸せをもたらしてくれた。

その火傷は後頭部の3分の1が焼けてしまい、すっかり「ハゲ」として傷跡に、しかし本人は見えないので誰が何を言おうがお構いなし。勿論、つむじ無しで「カッパのお皿状態」であった。

カッパ、カッパと言われたが、カッパの意味が分らず、一緒になって私自身もニコニコしながら「カッパ、カッパ」と言いつづけ、そのうちに多くの子供はカッパと、いじめても反応しないことに気付き、言うのは止めてしまう。

銭湯では一緒に行った子供達と湯船で遊んでいるうち、頭だけ出して顔は湯船に浸し、それを出したり浸したりして遊んでいると、それを見た大人達が大きな声で笑い、それが嬉しく何度でも繰り返したが、その笑う理由を後ほど気がついた事であつたが、顔を浸した時に頭が「カッパのお皿」に見え、その滑稽さが笑いを誘ったと推測したのである。
このカッパ状態は沢山のエピソードがあるが、20歳まで悩む事無く所有続けるのである。

私が囲炉裏に落ち、頭に火傷を受け、母としての責任から、姉2人と一緒に3日3晩、涙に暮れたという話を聞き、これを責めては決していけないと、親が好んで子供に火傷を負わせたのでは無い、私の生まれながらの「オッチョちょいの性格」から生じた事と、子供ながら考え、「カッパ状態」に対して、親を恨む等という事はなく、自己責任と言う思考であった。

B
スズメバチの急襲で1週間、高熱で寝込む
小学校4年生の頃、直径60pもあるスズメバチの巣を取りに、自分では完全武装と思いき、その蜂の巣は小さい橋の下にぶら下がっていて、それを落とそうと、物干し竿で根元をつついたが、間違って「巣にズブリ」と、怒ったスズメバチが一斉に頭を目掛けて急襲である。
髪の毛で保護されているならまだ少しは防げたであろう、しかし、カッパ状態の頭では皮膚もろだしで、そこに集中攻撃、何百本の毒針を受けただろうか・・・・
頭に群がるスズメバチを手で払い退けながらその場を離れ、うつろに家の近くにたどり着き、誰かが「ハチに刺された」と叫んでいた。アンモニャだ何んだかんだと叫んでいるなと・・その後、気を失い、気が付いたら自宅の布団の中で1週間目の目覚めだった。後で聞いたのだが、蜂を払い除けた手はやはり毒針で冒され、パンパンに腫れ、グローブのようだったとか。欲をかいたばっかりにこの始末とは情けない。

このスズメバチの巣だが、幼虫を食べるのが大好きで、他の子供と一緒に取りに行っては「分け前を与える」事になり、独り占め出来ず、欲をかいたのが大失敗であった。ここでも「欲のかき過ぎ」の学習でもあった。

生まれる前から小学校4年生の間、色々と体験記、今日はここまでで続へと・・・・・・



20歳頃から悩み
このカッパ状態解消の為、最終的に「家1件が立つ」ほどの費用が掛かる手術、その他、諸々のを処置を施す事になるが、しかしこの施しが私にどれほどのパワーとそしてそれがエネルギーの源になっているかは計り知れない程の恩恵を授かった。

逆転の発想はまさしく「脳味噌変換」の授かりものと、そして人とは違う体験を得られたことに感謝です。

心意気はこの話からズ〜っと先に来て、バイクや四輪車に繋がっていくが、車も「心意気で乗る」から、「癒しで乗る!」に脳味噌の配置換えと、台数も減ったが更にセグメントをしようとし考えている。
黄色の藤の花、一番美しいとき  2010年5月19日
開設して間もない頃、もう10年くらい前だったと思うのですが、その時に訪れて以来の栃木県足利市「フラワーパーク」!

http://www.ashikaga.co.jp/index2.html

当時は入園料が高いと酷評されていた新聞記事を読んだ事もありましたが、しかし今は季節の一大イベントテーマパーク化し、紫の藤の花がピークの時は、渋滞、駐車場待ちと言う大変な混雑ぶりの様相を呈しています。

また内容も開園当時とは大きく異なり、花の種類も豊富で、今回、紫や白の藤花は無理でしたが、それ以外の花で思う存分「感動の渦」に浸ろうと決めて訪れたのです。

渋滞も無くそして駐車スペースの空きが無いなどの現象の経験をする事無く、スムーズ入園です。

友人が今年のその一番良い時に訪れて「駐車場の空き」がなかなか出来ず、大変だったと聞いていましたので、もうその花の時期は過ぎた!と言う時、昨日18日かみさんと訪れました。

ピーク時の入園料は1600円、しかし昨日はもう藤の花の時期が遅いので1200円、そして今日19日は1100円のようです。

藤の花が一番美しい時期に応じて入園料が決めれているようで、昨日はダンウして安く入園!と言う状況でした。

紫色や白色の藤の花はすっかりと、色あせていましたが、フラワーパークの名に恥じないその他の「旬の草花」は、見頃のピークでその花の美しさに感動!しようと、入園者でごった返していました。

メーンの紫の藤の花はもう遅いと言いつつも、その他の花に期待して、ウィークディにも関らず、この人だかりは驚くばかりです。

この施設のすばらしいところは「車椅子に全て対応」し完璧なバリアフリーでした。

当然、それを証明するかのように、車椅子で訪れている方が非常に多く、また施設側の貸し出し車椅子も用意され、明らかにそのステッカーで貸し出された車椅子、と判明できるものを利用していた方々が沢山見られました。

公共機関のこのような一大イベントテーマパークであっても、これほどに完璧なバリアフリー施設!はまだまだ数が少ない、必ずやどこか「段差」があると、しかし、このフラワーパークはそんな段差は無く、健常者以外の方々でも「優しく対応」と、その部分でも感激な施設と思いました。

またこの施設のすばらしいのは、椅子とテーブルがそして「日よけのパラソルがセット」でアッチコッチに配置され、相当の人数が入園しても、その休憩場所には事欠かないと感心した次第です。

広い園内は隅々、季節の草花が観賞でき、その魅了についオーバーワーク気味となり、どうしても歩き疲れて一休みしたい!という気持になった時、
すぐ休憩する椅子があったりすると、それは有難い、そんなやさしい配慮がなされているところがすばらしいと、これも花の美しさに感度も当然ですが、この配慮にも感動!でした。

本筋である「藤の花」は確かに時期遅れでしたが、同じ藤の花でも「黄色藤」は今がピークで、見事にその美しさを放っていました。

藤の花ばかりが「花」ではありませんので、今が旬と言われる「多くの花」は、美しさに光り輝き、入園された人々の心に癒しと感動を与えてくれました。

写真は左が今がピークの黄色藤の花です。黄色の藤の花などは小さい頃、このような色の藤があるとは知りませんでした。黄色の藤の花を知ったのは20歳代の終りの頃でした。

写真、真ん中は人工的に積み上げられた旬の花、

そして右は「睡蓮」を彷彿とさせるクロードモネの絵画を模して作られた庭園かなと、そんな感じを受けた池で・・・

このような施設に沢山の人々が押し寄せる現象、今、世の中は索漠とした部分があり、どこかやり切れず、だからといってどうしょうも無く、そんな時には美しい花でも見て、ささやかな心の癒しを求める、その求め口がこのような整備された施設かなと、

しかし、花は本当に人の心を和やかにしてくれます。美しい花を見て万人が心を動かされる!
この美しさを「嫌だ」と言う方はまずいないと思うのです。
作品は撮影された方の「顔」に見えるのです 2010年5月18日
写真って撮影した方の人柄を現す!

人が撮影した写真を見ていつも思います。なんって人間はスバラシイのだと、それは多くの方々のその作品を見て、色々な角度で、これは単なる「カメラが向く角度」ばかりではなく、その方の人生模様も映し出されたかなと思える作品や、また私の発想を変えさせてくれるカルチャーショックを受ける作品、様々ですが、その作品を創造する瞬間、別の言い方するならば「シャッターを捺す瞬間」、その方の心理をわたし流に推測すると実に楽しいのです。

作品ばかりが目に行ってしまいますが、その瞬間を想像すると、写真の見方が変り、またその作品が色々と教えてくれる!と言う私にとって、この部分を見ていると、他人様の作品は飽きがこないのです。

構図とか色とかその日の天候で作品に現われている表情は、芸術性をウンヌンと言う以前の、その撮影した方の表情とも取れる「顔」に見えてくるのです。

評論する立場ではありませんので、その道の方との感性は違いますが、しかしその「顔」は色々と教えられる部分が大きいのです。まるでその方の人格を、またその瞬間の心が見え透くこの感じがたまらなく、ついそれぞれの作品を見入ってしまいます。

私にとってもそれらの作品は「感性を磨く」と言う一つの生き方に、そして「物の見方のバリエーション」を更に広げる場として役立たせて頂き、常々、写真を見る楽しみをしみじみと味わっています。

写真と言う作品は「人柄を現す」と、またどのような作品でも「顔」と捉えるとこれまた楽しい!
身長178p、体重67`、体脂肪を10、・・・・を謳っているが、この体脂肪はクセもので少し過食や過飲をすると必ず、数値は上がります。しかし、私の場合、上は言っても「12」くらいで殆んど一定しているが、還暦5年生代の多くは「飽食の時代」と「無節操」で、同じ状態とはなかなか行かないのが現実と思います。

世は正に美食に事欠かず!ですべてのものが「美味しい」と言う昨今、その美食の誘惑には勝てず、つい手が出てしまう、これがごく当りまえ。

私は三ナイ主義と称して「食べ過ぎない、欲をかき過ぎない、ものぐさしない」とうたっていますが、これを完璧に遂行とはいかないのが人の常で、羽目を外して「暴飲飽食」も当然、人並みの如くです。

最近は「食べ放題」というレストラン等の絶好の羽目を外す環境が整って?そこに出かけた時などはそれはお腹が裂けんばかりの「欲をかき」、元を取らねばとあさましい思考の下で、胃が突然の大量流入により、収容出来なくその代用で「食道」までが侵されてしまう始末、一体、あの「三ナイ主義」の哲学は如何したろうと・・・・・

しかし、翌日、その矛盾と自己の背信に耐えられず「1日絶食」を行なうが如く、翌日の朝食、昼食は抜き、そして夕食は軽くと言う有様です。

ただ食べ放題のレストランへ行く場合、必ず条件がありそれは「種類が豊富な野菜も食べ放題」と、この野菜がある!事が必須と、この野菜の無い所へは足が向きません。

私の体型は高校生時代に戻った!と、しかし、そうは言いつつ加齢とともに身体に付く筋肉も脂肪もそしてそれら意外の「肉」は、引力の法則で、必然的に「たるみ」と言う現象は避けられず、その当時の「肌の張り」は、比較にならないほど劣化ています。

お腹の張りと言うか「出腹」だけは避けたしと、まず「太ると言う事」はどれほど「経済的負担」が増すか、

過去にお腹が出て今まで何気なく気にしてもいなかったファッションが楽しめないと、全ての洋服が着用不能に陥った「太目の30歳代」がありました。

このときに、太ったせいで吊るしと言われる既製品の洋服が着られず「仕立て」と言う、割高のスーツをと、またスラックスもなかなかサイズが合わず、と言う経験が背景にあり、

この「出腹」と「太り」は、これはまずい!といち早く気付いたのが幸いし、節制生活に切り替え、現在に至ったのです。

人生の道しるべ!は経験でもその方角が決まると、

その典型も私の肉体改造に、しかし、マッチョな身体にしようとは思わず、ただ「健全健康体で良い」が目的です。

筋肉隆々のボディビルダーとは行きませんが、プレッシャーにならないで毎日継続できる範囲内のストレッチと

「姿勢を正して」と「早足ウォーキング」を毎日の日課で出腹も無く、体内脂肪「10」を維持しています。

加齢はどうしても色々と身体に不都合現象が生じてくる事は必然性、その不都合の大半は「食生活」が大きな影響を及ぼすと、常々の考えで、その食に対する誘惑をどうしたら跳ね返せるか、これがキーワードと・・・・

写真は5月15日、夕食後、風呂から出たときで、

無理せず継続は力なり!
と日常的な軽いストレッチがもたらす「健全健康体」が目標です。

自慢する事でなく、心掛ければ「誰にでも出来る」と言うメーセッジーとして捉えて頂ければ嬉しいななと思います。

本来、人に見せられるような肉体ではありません。過酷なトレーニングを積んで筋肉隆々と言う方は、世の中にゴマンと存在し、そんな方との比でもなくジャンルでもありません。

ただ健康を考えて凡人の簡単なストレッチの継続で、誰にでも挑戦できる、と言う面で何かヒントになればと思い、普通の親父の肉体披露?でした。

参考まで
2010年5月17日現在の数値
身長178p 体重67` 骨量3.5s 体脂肪10 内臓脂肪6 新陳代謝消費量1690kcal 筋肉量59s

骨と皮の筋太郎さんと思われたりすると困りますので、この数値を見て頂きたいと願っています。
痩せすぎでも太り過ぎでも、病の要因となる因子の可能性があり、行き着くところは「バランス」と思っています。
2010年5月15日撮影
朝一番の顔のチエックに対してのそれぞれの考え、現実の生活に少しでも生かして頂ければと思って、読んだ方がそれなりにお役に立てればとの事で記しています。

http://smcb.jp/_ps01?post_id=1879181&post_pagi..


加齢は誰でも暦年齢で、避けることができません。またそれに伴って「加齢臭」とか「身の回り」に気を使わなくなり、年寄りが嫌われる大きな要因でもあります。

社会の一駒として活躍していた当時は「緊張感」で、張りのある生活であったでしょうが、それから一歩退くと、もうその緊張感から解放されどうしても「気が緩む」事に結びつきます。

やはり「張り」の心を維持し続けるのは、顔の手入れも重要な要素の一つです。衰えのスピードを少しでも「緩慢」にする一つの手段で、顔は何と言っても一番、人の目に振れる場所、その造作はそれぞれ個性的で手の加えようがありません。

しかしその付属物に尽いて、毎日の生活の中の「手入れ」で生まれた当時に少しでも近づけられると思ってます。

これは日記“朝、一番は「顔」のチエック”の最後に記したスレですが、

歩く姿勢について日頃、気を付けている事を記したいと、人は加齢と伴にどうしても筋肉の衰えで「歩行が妙な姿に」・・・・

ガニ足は更に「妙な姿」を助長する、これを少しでも解消したい!そんな願いを込めて日常的意識で少しは矯正できるかなと思っています。

私の育った過程で、生育上、大変重要な過し方をしており、それは1年間、5`ある山奥に学校へ行くために急坂を登ったり下りたりした生活をし、まだ成長盛りの時期、この生活が足のO脚を形成、その要因で、大人になって普段歩く姿勢が「ガニ股傾向」となってしまうのです。

欧米人は歩く姿勢の矯正を行う文化があり、また幼児時の教育と捉え、日本人はその姿勢について意外に無頓着で、男性に限らず、女性も含めて、ガニ足、O脚、猫背の姿勢で歩く方々が多いのです。

かみさんの母は「姿勢」についてポリシーがあり、その教育のおかげでかみさんの姿勢は並外れと思うほどです。

これは見習わねばと思いつつ、私の姿勢について、ときどき指摘されることがあり、これも育ちの違いかよ!と自虐的になったりと、しかし確かに自分の歩く姿は「ガニ足」で、美しくは無いと以前から自覚していました。

もう直すことは出来ないが、意識して歩行する事で若干の補整は可能と考え、歩く時は「ガニ足」にならないよう注意して歩くよう心掛けています。

朝の競歩的ウォーキングは勿論の事、普段の歩くときでも

1、背筋を伸ばし、胸を張り、そしてあごを引き
2、真っ直ぐ先、約50メートル先を目標に目線を置く
3、つま先が開かない角度、シューズを履いた足が並行に向くよう歩く

以上の3点と強く意識し、日常的な歩行を行う。

しかし、いくら意識してもその意識は頭から遠のくのはごく自然の流れ、忘れてまた気がつき、そしてまた意識して歩行。

この繰り返しです。
この繰り返しも楽しんで行うと、苦にもプレッシャーにもならず、常々、人は考え方でどの方向にも向く!これを何気ない日常生活の「歩行」でも取り入れです。

男は中味で勝負!で何も意識せず生きる、これもその通りでそれぞれ、個人の自由な生きざまです。
しかし、私は常に考え、そして意識して日常生活を過ごすことが、覇気を生みまた刺激に結び付くと、更には脳の活性化に直結と思っています。

意識して何らかの行動はその意識が喜びや楽しさを生むと信じています。

また「加齢臭」については30歳代から使用している男性専用「aramis」と言うコロンを、これは加齢臭対策と言うより、エチケットとし長年の愛用により「習慣」として定着、出かける時の身体への添付は欠かせないものとなっています。

この歩く姿勢、加齢臭なども五感への刺激は怠り無く!と同様の思考がベースと考えています。
http://smcb.jp/_ps01?post_id=1892024&oid=14051..
バイクに乗り始めて53年、初めては1957年から現在に至り、そしてハーレー倶楽部結成から26年、それ以来のその仲間たちで、よき人生の道しるべです。

倶楽部は1985年結成しそして26年間、怠り無く、ペースを落とす事も無く、結成当時と同じ様に活動を続け現在に至っていますが、
http://www.ne.jp/asahi/azu/sin/85kara95kiroku.htm

ここまでの過程では60数名のメンバーが在籍した事もあり、現在20名に落ち着き、この関係は兄弟以上の絆と言っても言い過ぎではありません。

職業も収入もそれぞれまちまちで、その件に関しては一切、触れないのが原則で、ただバイクが好き!とその一点の極みで纏まっているのです。

リーダーと言う立場で「触れない原則」、その個人情報を把握していますが、色々な経歴の持ち主そして個性に富んでそれは楽しい!とこの言葉では現せない、癒しと楽天の世界の方々といつもの気分に浸っています。

年収ウン億円と言う事業家か、と思えば私の様に細々と生きている人間もおり、それは20人といえど千差万別の生きざま、キャラの持ち主で顔を見ているだけでも飽きが来ません。

平均64歳のメンバーですが、見た目もやっていることも「若い」と私の主観性として捉えたことですが、それを如実に感じられます。

年齢的にそれ相応の領域に入り、多くは1回以上「大病を患う」経験をしており、命の大切さや食事と運動の関係も痛いほど理解し、痛切に把握しています。

勿論のこと「食べ過ぎない、欲を書きすぎない、ものぐさしない」は必須とうたっていますが何処まで実践していうかは定かでありません。

ハーレーは現役90歳!を目標に、そしてそれが実現できるよう鍛えようと、説いていまので「3ナイ主義」は理解し、最近、その説いている内容を把握し、クセが出来上がりつつあるようです。、

昇地三郎さんの「人生99歳は助走、100歳からが人生本番」と、この考え方を少しでも取り入れようとその気になり、実践しているようです。

ひと言で「バイク」と片付けられそうですが、これを53年間、そしてハーレーに限っては30年間接して、これもパワーの源泉と思わざるを得ないのです。

壊れても自分で直す!

これは二輪に限らす四輪車もそうですが、壊れるのが面白く、そしてその壊れた箇所を直すので楽しくて楽しくて仕方ないのです。ただ最近の二輪も四輪も「電子機器搭載」で、残念ながら直す事が出来ない場合が多いのは残念。

環境に配慮した車つくりが全て「個性消失」の車つくりに変質してしまった、と言い過ぎではありません。

特に四輪はエンブレムと称される「名版」を見てメーカー名がやっと判明すると言う「没非個性化時代」と思います。

ハーレーであっても時代の波に押し寄せられ、水冷と言うジャンルのエンジン搭載車があり、また流れとしてその車種が増えて行く事は間違いなくそれも時の流れ。

ハーレーと言うと「ドッドッドッ」と言う重低音の排気音が代名詞でしたが、この音質も今では過去のものです。新車の状態ではもうその音を聞く事はありません。

時には過去の音質と同様の排気音を響かせ去っていくハーレーもありますが、それは排気管マフラーを換えての事です。

バイクは排気音で勝負!とその音に魅了されバイクの世界に踏み入れた者として、寂しい限りですが、これも時代の波と理解せねば乗る事は不可能になるのです。

もう4輪もガソリンエンジンに変るモーターを原動力とする時代はすぐそこに来ており、バイクもしかりです。

音で乗る時代は「過去のものだった」、と\語り継がれる未来がそこにもうやって来ていますが、このアナグロ親父どものハーレー倶楽部が健在の時代「まだやってこないで欲しい」と願うのは、多くのバイクファンの切なる希望かなと思うこの頃です。

5月2日〜3日とそのアナログ親父どものツーリングレポ
http://azusin1.fc2web.com/hdj1/2010/0502/0502.html
あ〜っあっ!とため息が出てしまいます。それはなぜか?

世代間の異なるかみさんとの生活は結構、疲れる。しかし現実は・・・・・

パートT
http://smcb.jp/_ps01?post_id=1571331&oid=14051..

パートU
http://smcb.jp/_ps01?post_id=1736127&oid=14051..

で記しましたが、今回はパートVとでもしておきましょう。

また「のろけ」と言われてしまいそうですが、切実な心境はなかなか経験した事がないと理解して頂けないでしょう。しかし誰が何を言おうが書きたいのです。

かみさんとのやり取りで、本人が全てを納得しないと、中々先へ進まず、どこかで足踏みし時間が掛かり私の方がギブアップと言う場面がしばしばです。、

いい加減は絶対、容認せず中途半端で事を済まそうなら、その中途半端さをとことん追求される。

このとことん追求される事は男にとってと言うか、私にとって辛いものがあります。過去にはあまり追求される生活を送ってきませんでしたので、この追求されないクセが抜けきらず苦労してます。

いままで、男女同等と言う生活感は皆無であり、どちらかと言うと「亭主関白」で、家の事は殆んど、目もくれない生活でした。所が今はどうでしょう。

何から何まで男女の差がなく「対等」からスタートし、生活に関する物事は全てを2人が分け合う、と言う前提で生活を成り立たせねばならないと言うのが現実です。

掃除、洗濯、布団の上げ下げ、と上げたら切りが無いほどの分業で、一緒に行う事が求められ、それを遂行する事が当然と言う世代で、過去には何一つ行わなかった私には「苦痛」の2文字と・・・・・

しかし「苦痛」と考え、思ったりしたら過去の生活と同様で、新生活の意味が無くなり、一緒に生活する意義が薄れてしまいます。

もう4年目の新生活?であるが精神改革と苦闘の毎日。しかしコレも考え方で楽しさに変換です。

私にとって大変「新鮮」であり、料理などは「嵌まってしまう」と言う現象が生じ、大変、驚いています。

料理の味付けも僅かな工夫でコクが出たり、濃厚な味が出たりと楽しいと同時に新しい世界が開けたようです。

電気掃除機を掛けての家の中の清掃、いつも掃除機を片手に、この新鮮さは一体、何だろうと思うのです。

毎日、毎日、電気掃除機に溜まるゴミを捨てる訳ですが、その溜まったゴミを見つめては「オッ、今日は綺麗だ」と、前日の部屋の≪汚れ具合のバロメーター≫とそのゴミを見ていると何だか嬉しくなります。

以前の生活感からはとても想像ができませんがこれも自分の為と思うと、俄然、張り切るパワーが沸いてくるのです。

体も軽くフットワークも弾み、何だよこのエネルギーは!と自己のこの快活さに驚くばかりです。

過去の生活は、複数の会社の仕事を掛け持ちで常に、現在とは異質のパワーを得て排出しながら活きて来ました。

しかし、今は大きく様変わりした生活感で、そのパワーの維持の仕方も使い方も変化し、食う為のエネルギーの消耗とは異なってしまいましたが、これも人生と割り切り、楽しんでいます。

常々言い続けてきていますが、考え方が、全てを制す!と己の生き方に忠実に活きている証しと思い、苦痛から楽しさに変化した現実、

例をあげれば「料理」とか「掃除」とか、専業主婦の専売特許を得た生活を味わい、20歳以上離れたかみさんに「感謝」と呟くのです。

世代間の相違とは

大きくは経済観念の相違、教育感の相違、時代と共に変化した男女間の観念とどれをとっても「20数年のギャップ」は、

遺伝子の如く、体に染み付き拭い去る事は不可能ですが、しかしそれを解決するキーワード、それは「考え方」でクリアです。

己の為と思う思考で望むと、もうスッキリと解決です。考え方でこれほどさわやかに対応できる自分が不思議と、これも活きるパワーを頂いたと「感謝」です。

人の考え方はそれぞれですが、現在の自分の姿を鏡に映し、つくづくと思うのです、困難の大小はそれぞれありますが、多くは思考でその困難は克服と!
朝は最高!気持ちよいです    2010年5月10日
春、それは心がどこかウキウキと・・・・・

今年は特に「花」の美しさの感動を求めてアッチコッチへと出かけまくった。その花の咲いている場所に行けば例え、目的とする花が開いていなくても、いずれはこの枝に花がいっぱい!とイマジネーションでも、心がときめくのである。

かみさんとその花見散策でお出かけは

3月14日東京青梅市の梅「吉野梅林」をかわぎりに、

4月9~10日は長野県高遠コヒガン桜、

4月13日埼玉県長瀞「そめいよしのライトアップ」夜桜散策、

4月24~25日秋田県角館〜田沢湖〜盛岡石割り桜〜中尊寺の桜〜毛越寺、

4月28日埼玉県宝登山神社「30種類の八重桜くぐりぬけ」、

5月4日長野県軽井沢「ソメイヨシノ」と周辺散策、

5月9日群馬県館林「つつじの花」&狸の分福茶釜・茂林寺と・・・・・

≪花の感動≫を求めてとよく出かけたもんだ〜。

いつも彼女に怒られてしまう。宿泊以外は当日の朝、さぁこれからOOへ行くよ!と・・・・

女性は男と違い、色々と準備があり「ハィそうですか、それでは行きましょう」とはなかなないかないようで、いつも怒りを買っている。

バイク倶楽部の場合やかみさんと宿泊の場合「宿」のこともあり、事前に準備するが、彼女との日帰りの多くが当日の朝、さぁでかけるぞ〜と言い出すために、あっちこっちへ連れて行っている割りには、出発時、ご機嫌斜めである。

私は出かけるのが大好きで、日常的空間から一歩、外に出ると全てが「新鮮に映る」。

この感覚が何とも言えないパワーを得られる方法といつも、その感覚に「感謝」で、これが病みつきでつい特別な用事が無い場合は出かけてしまう。

幸いな事に関越道花園インター周辺からは、自然の恵みをイッパイに受けられる環境が揃っており、その真っ只中の感動がいつでも受けられる。

この春の「花の感動」もその一つで、つい気持の良い朝となると、心が躍り、その「真っ只中」に行きたくなるのある。良い意味での「病気」かなと。

しかし、その心が躍る!感性は今までの生きてきた人生にどれほど役立っているかは計り知れないと同時に大変有難い。

その感性が無かったら、どこかに行きたい!と言う発想も生まれず、その季節にしか得られない「自然の感動」を得る事もできないでしょう。

この季節は特にすがすがしく、すっきりと目が覚ますことが出来る唯一の季節と思っている。

睡眠3〜4時間の生活ではあるが、常に目覚めは良く、気分も最高潮ではあるが、その中でも今の季節は際立って「朝の気持ち良さ」が満喫できる。

その気持がつい「どこかに行こう」と言う事に結びついてしまう。かみさんに悪いが、行くとなったら行くのである。

彼女も決して出かけるのは嫌いでないので、朝のうちはシブシブとご機嫌斜めで「ブツブツ」と言っているが、そのうちにそのご機嫌も上向きとなり、お昼時は「上機嫌」である。

朝、目を覚ましたらその気持の良さに感動!は更に感動を求めて、日常的空間を脱出!である。

昨日の分福茶釜で有名な茂林寺の狸と館林のツツジ
飛行機が嫌い!で27歳の時以来、海外は一度も行ったことが無い。しかしかみさんは海外へ行きたいと・・・・

そんな穴埋めをする為に四輪駆動車を駆使して1ヶ月の「北海道車中泊の旅」を予定している。仕事が一区切りとそれが頭にあり、その区切りがこの65歳であった為に「旅」をはまず北海道からと、その次は九州、四国へと・・・・

この決意の日記をお読みの方、ぜひその経験がありましたら教えて欲しいと。とても一人では寂しくて出る勇気は無いが、かみさんとなら楽しい旅が出来るのではないかと夢を膨らませている。

四輪駆動車の狭い車内でマッレスを敷いて抱き合って寝るのもいいかなと、普段は別部屋で就寝、誰にも侵されないで睡眠が確保出来ている生活が、この車中泊では無理っと、その点が心配であるが、これまた「楽しさに変換」で行こうと心に誓い、そろそろその準備と思うのである。

1995年の夏に12日間、12名で北海道の旅をバイクで敢行して以来の北海道!あれから15年、随分北海道も変化しただろうと大いなる期待に胸が弾んでいる。

予定では6月いっぱいの日程でグルグルと車中泊を中心に気ままに足の向くまま、巡って来たい。

毎日が楽しい!       2010年5月7日
私はどうしてこうもおめでたい!性格のだろうと時々、考えることがある。

私の母は先日亡くなった女優の「北林谷枝さん」と同年齢で、顔もそっくりさん、若い頃はよく似ているので間違われた事がしばしばでした。

98歳でまだ健在であるが、ただ耳が遠くなり通常の会話は困難極める状態で、母と会話する時は「大声で叫ぶ」と言うか「怒鳴る状態」である。しかし、寝たり起きたりの毎日で兄夫婦が面度を見、二匹いる犬と戯れる生活である。

ノーテンキ性格、楽天度の高さは母親譲り、大酒飲みと喧嘩が大好き、そして賭け事大好き親父には、相当の苦労をしたがその苦労を苦労と思わず、楽しさに変えていた。

小さいながらにも、苦労しているだろうと想像した場面でも、その母親の明るさと笑顔は「そのまま私に引き継がれて」どれほど今まで生きてきた過程で、この笑顔は助かったか計り知れない。

喧嘩好きな親父の貴重な話は、戦時中、列車の中の一切検問で「特高警察の言い方が気に入らないとその警官を袋叩き」にし、その列車から飛び降りて難を逃れたと母からも生前の父からも「自慢話の一つ」として聞かされた。

現代ではとても逃げ失せる芸当ではないが、しかし当時は情報網の欠如で、まんまと逃げる事が出来、その後平穏でいられたとの事であった。

明治生まれの父は、身長180pもある当時としては大男で、腕力は自身があっあようで、喧嘩も売りとして酒を飲んでは大暴れしていた。体中、傷だらけの親父で、その傷も自慢の種であった。

しかし、そんな親父とは正反対の息子、喧嘩嫌い、賭け事嫌い、酒のんべ〜嫌い、とただお酒は毎日飲まないが、付き合い酒はたしなみ、また気を許す仲間との「ワィワィガヤガヤ酒」は大好きである。

喧嘩はもちろんの事、親父の反面教師で「喧嘩した事無し」で、喧嘩になりそうになるとその場を逃げ、今まで殴った事もなし、ただ殴られた事は一度だけある。しかしこれも私が悪かったので、殴られたが私が謝り、その場は納まると言う結果であった。

ノーテンキの母とやたら喧嘩が大好きの親父を見て育った息子は、人と人との営みは、どのようにしたら上手に生活が出来るかと、その父の生きざまでしっかりと学ばせて頂いたのが大いに役だっているといつも感謝の念である。

今まで歩んできた65年を振り返り「苦労とは」「幸せとは」と、問い直した時、苦労に当たる部分は全てが楽しい思い出として振り返られる。

この楽天さ!何でだろうとフッと思うと、それは母の遺伝子がそっくり受け継がれている事に気付くのである。
中学生からかそれ以前からかは定かでないが、1日睡眠3〜4時間がベストタイムと過去の日記にも書いているが、この睡眠が多くは窮地を救ってくれた事も事実で、早起きは三文の徳!ではなく「睡眠3時間は三文の徳」である。

苦労も苦労と感じず、それが全てパワーとし、エネルギーに変えてしまう特技!と信じている。

本来は誰もが「逆境」と解釈される現象であっても、その現象は私のエネルギーの源として信じそして結果を伴って体に付いて来る。何としても不思議と思うのである。

毎日が楽しく、また健康そのもの、50歳代前半までは軟弱病弱体質で、体への執刀は9回あったが、今は30歳代の「活力ある精神そして肉体に蘇生」と本当に摩訶不思議な事である。

この現象は全てが「考え方」によって得られ、誰もがその事を習得できると信じている。

常に物事を「良いように解釈」する事が幸せを生むと、悪く考えたらその方向に向ってしまう。しかしその逆であれば、全てが楽しく、心も豊かになり、毎日の生活が楽しく、精神衛生上、ベストと考えるのである。

元気の源は全てが最初の発想にあると、そして誰もが得られることの出来る手法で、いつも心が明るくなる発想に務める、これがその壺と心得るのです。

毎日が楽しい!ライフスタイル、誰もが憧れる部分であるが、それは「考え方」に尽きると信じて人生を過して来た。これからの「折り返し人生」、このスタンスを貫き通すぞ~!と。
信じる事は救われる!とは    2010年5月6日
人の多くは心温まる方々といつも思っています。人はだれでも信用し疑念を抱かない。これは父から教えられた「人間としての生きていく為の教義」として、大切な父の教えの財産です。

私が物心つく頃は、貧乏な生活で最もこの時代は日本全体が貧乏でした。しかしその中でも「貧乏の筆頭」だったのではないかと、今思うとその様に考えられます。

しかし当時は大変人間的な生活感に満ち溢れていました。私が6歳の時、兄は小学校6年生、まだ保育園も幼稚園もなく、私の父も母も木炭生産業で山に篭もり、弟もその父や母と過していましたが、私は兄や姉と一緒に別の街中で過していました。

兄も姉も学校に行ってしまうと、私一人が取り残されてしまい、それでは心配と言う事で、時には中学校へ行く姉と、そして小学校へ行く兄と一緒に学校へ行きました。

しっかりと憶えていますが、姉の机の横に私の机が、そして小学校6年生であった兄の横にも私の机が置かれおり、授業が終了するまで、兄や姉の横の机で静かにその一日を過したのです。

中学校も小学校も学校が位置する場所は別で、単なるその姉や兄の担任教師の配慮で、机を置いてくれたのです。

他の生徒には同様な例が無く私だけが6歳の時に「姉の中学校」にそして「兄の小学校」に机が並べてありました。

どのような日程の間隔で姉や兄の学校に通ったかは憶えていませんが、しかし、静かに音なしくしてノートに字や絵を書き1日過していたのを憶えています。

そのノートも兄や姉の担任の教師が私にプレゼントしてくれたノートでした。現在ではとても考えられない事ですが、それが許されたよき時代の思い出です。

姉や兄と一緒に未就学の子供が学校に行き、机を並べて同じく授業を受けていても誰一人、イジメや意地悪する子供がいませんでした。

休み時間などは、むしろ一緒に遊んでくれたりして、楽しいひと時の事しか記憶に無いのです。

このような経験も人が大好き!と人を信じる、と言うこころが芽生えていたのではないかと思っています。

多くの事を教えて頂いた多くの方々、その方々が私にとっては「人を信じる」と言う礎であり、この65年間、人に騙されたり裏切られたりした経験が無く、人は信用するものといつも思っています。

もしかしたら裏切られたり、騙されたりしたが、持って生まれた楽天主義で「気に止めないノーテンキ」により気がつかなく、おめでたい性格が、そのような結果を生んでいるのかも知れません。

尚、姉の隣りに机がそして兄の隣りに机を設けて頂いた年は昭和26年、1952年の事でした。
充実のゴールデンウィーク?     2010年5月6日
2〜3日はバイク倶楽部で村上市、瀬波温泉と高速道路の往路でツーリングでしたが、それはそれはひどい渋滞振りでした。2日の朝7時出発で関越道上里SAに集合しましたが、アレだけ広〜い駐車場でしたが、4輪も2輪も駐車するのが困難な状況でした。

高速道路何処まで行っても1000円!の効用は、仕事でただただ走るものにとって効用より弊害が大きいと感じざるを得ない現象でした。6月からはこのサービスも「平日もOK」と言う事で、土日祝祭日の限定は解除され、これからは「平日でも1000円割引」となり、私個人としては大変、有難いと思っています。

4輪は平日「何処まで行っても2,000円」にシフトしますが、1日300`以上走る者にとっては、これも有難いと思っています。

2日の高速道路ですが、途中、中之島見附で6台の追突事故で周辺は10`の渋滞、バイクに混じって4輪が一台参加していましたが、その10`の渋滞から脱出するに3時間も掛かりました。

勿論、違法行為と知りながら「路肩走行」で、これも車の間をすり抜けるには、運転技術の「うまい、へた」がいるのですから、15台の大型バイクは四輪にも迷惑が掛からず「堂々の路肩」で渋滞突破でした。多くのバイク乗りは違法の路肩走行は行わず、違法では無い「車の脇のすり抜け」を行っています。このスルヌケは「違法」ではありませんが、このすり抜けは4輪との接触事故が多く、反って危険!なのです。

この場合、先頭を走る私が代表して「違反キップ」を切ると言う構図で確信犯的道路交通法違反です。しかし、これが一番「安全」と思っており、私の後を続くメンバーには「路肩の中央」を必ず走行と伝えています。

平均63歳のメンバーと走行する時は、キップを切られ反則金の支払いがあっても、仮に違法でもこれは安全!と知りえる時は「検挙覚悟」で、その安全策を取る!が最優先です。
これは高速道路の渋滞の際に限っての事ですので、これをお読みになった方には誤解無きようよろしくお願い致します。

新潟村上市のそばまで高速道路は伸びており、村上市には11時30分に到着でした。歴史ある町屋を見学したりして瀬波温泉の宿にはチエックイン3時で、その時、事故渋滞で遅れて来た4輪も同じ時間で、それだけ「渋滞脱出」に時間がかかったと言う事でした。

瀬波温泉での夕日は日本一とそんな夕日と、その夕日に照らされた、赤く染まった「顔のメンバー」です。宴会前の宴会でバイク談義に花が咲く!です。

3日は笹川流れを観光船に乗り、殆んどは道路からで、今回、初めて海側からみた奇岩の景勝をタップリ楽しんで、家路に着いたのでした。

帰りの高速道路混雑振りは凄まじかった。赤城高原からは殆んど渋滞かノロノロ運転で、この帰りも渋滞箇所は例の「安全走行」で、それらをクリアして花園インターには4時30分、到着でした。

そして4日はかみさんと「軽井沢」でしたが、行きは高速もスムーズでしたが、帰りは「動かない状態」で、高速は利用せず、一般道を利用しての走行により、渋滞も無くスムーズ走行で帰りました。時々、高速の高架と交差する上を見ると、テールライトが動かず、またはノロノロ状態で、都内方面に帰る方はお気の毒様と同情の心で見ていました。

さんさんな高速道路の「何処まで行っても1000円効果」の土日祝祭日、渋滞もこれが最後かと、6月からは平日で楽しもう!と思うのでした。
今朝のスバラシイ天気、気温は低かったですがその気持ち良さに「誘惑」され、Tシャツ1枚でウォーキングとなりました。

まだ夜は空け切らず、薄暗い中でしたがそれでも、そのウォーキング終了時には「朝日」が崇められ、今日も一日、みんなが幸せに!と手を合わせ、家のドアを開きました。

いつもながらであるがその家のドアを開く頃には「汗だく」となり、シャツを着替えてそれから、定番の軽いストレッチで朝の運動は終了である。

常にすがすがしさの余韻を残し、僅かながらの疲労感がなんとも言えない「心地よさ」生んでいる。

これは天気のよい日の毎日の日課で、まずはこの行動が私の1日の始まりです。

この季節は4時頃がウォーキングへの出発時間であるが、今朝は4時30分であった。しかし帰る頃には日が昇る!と言う太陽は動いて気持が良い。

明日からはハーレー同好会「晴旅人尊塾」の一泊ツーリングで、この行事も私にとってライフワークの一環です。
http://www.ne.jp/asahi/azu/sin/index.html

我がかみさん、そしてかみさん家族総出で「バイク大反対」の大合唱を受け、結構辛いところがあります。

確かにかみさんやかみさんの親の言い分を理解すると、心が揺れたりします。20歳以上離れている女房を後に残して、仮に事故で現世を去ったらどうするの!と

それを言われても、なかなかそれは受諾しがたく、ついかみさんとは口論となり「バイクを取るの!私を取るの?」と難問を突きつけられます。

私はバイクを取る!と発言し、それで当分の間「絶交状態」と、この繰り返しです。

何と愚かな事かとは思うのですが、最近は少し諦めの境地に突入したようで、一寸はその威勢が弱まりつつあるような気がします。

ウッフフ!と少しだけ喜ぶ心境ですが、しかしバイク事故だけは絶対≪避ける≫これは至上的私の使命で、これには常に「五感の訓練」が欠かせません。

飛び出しや交差点での右折時の「必用以上の注意力」、そしてブラインドと称される見えないコーナーでの「対向車のはみ出し走行」と上げたら切りがないほどの「最悪の事態を予測した走行」が求められるのです。

この最悪の事態を予測しての走行!はバイク乗りにとって欠かせぬ運転手法と常に心得ているのです。これを想定して走る事がこの1957年からのバイクライフを通じて、
http://www.ne.jp/asahi/azu/sin/gazou/baikureki.htm

どれほど学習してきたか、そして事故を未然に防ぐ秘訣の賜物と頭に叩き込んで今日に至っています。

最近の車の運転手のマナーの悪さは著しく、常に見えないコーナーは対向車がはみ出してくる!と想定しませんと、いくつ命があっても足りません。何度その予測走行で事故を防いだか計り知れません。

かみさんやその親御さんが「心配」」する心境は痛いほど理解し、それを考えると、バイクを乗っている時、全ての神経を集中し走行!
これに尽きるのです。

これが脳の「前頭前野」を活性化させ、若さの秘訣であると科学的に証明されています。以下にも記していますが、
http://smcb.jp/_ps01?post_id=1210390&oid=14051..

NHKの「ためしてガッテン」でも、同様な内容の放送がされたのを憶えているでしょか?

若さの秘訣はバイクで「全身神経を張り巡らせる」これを常に保ち、四輪での走行とは異なり「ボーッと運転」等という訳にはいきません。

この全神経を使う緊張感!これが若さを得ていると言う、有効な結果を生み、バイクのような乗り物は脳の「前頭前野」の刺激に有効と結んでいます。

話は「落ち」となりました。

明日はバイク仲間と楽しいツーリング!今日よりも更に良い天気!と言う天気予報、うれしいな、うれしいな、・・・・・と子供の時のどこかに行く前日の嬉しさが甦ります。


すいません、一人で喜びの悦に入ってしましまいました。

歳を召されてもその「感動」を忘れず!五感の鈍りの打破です。
何で生きているの?     2010年4月29日
時々、人はなんで生きているのだろう、と考える事がある。多くは千差万別ではあるが、多くの人との営みに於いて苦労をし、周りの人々に気を使い、その人生の中で「苦労」しながら歩み、一生を終える。

生あるもの、必ず終わりアリで、いずれは現世とお別れしなければならない。そのお別れまでどれほど元気に健康で過せるかが大きな課題として、それぞれがその課題に取り組んでいる。

人生120歳!120歳!と大きな「生に対して目標」を掲げ、食べ過ぎない、欲かき過ぎない、ものぐさしないと「三ナイ主義」を提唱そして実践しているが、時には「羽目を外す誘惑」に押しつぶされそうなる時がある。そんな時は「お腹が破れんばかり」の量を食べるようにするのだが、もうしっかりと習慣として定着したその主義は、なかなか「陥落」出来ない。

この「三ナイ主義」を友人や知り合い等の方々に、提唱すると、多くは「食べるのが一番の楽しみ、僅かな人生、食べたい物ぐらい、好きに食べさせてよ!」と反論される。確かにその通りで、たかが僅かな人生、食べたいもの食べて、好きな事を好きなだけして、悔いのない人生を歩みたい!と誰もが抱く願望でありこれ人としてごく自然である。

しかし、待てよと・・・・・

自制の聞かない生き方で「短命」として現世に「おさらば」された方が、身近にいかに沢山存在したか、この例を出すまでも無く、とても120歳などとは言えるものではない。
糖尿病の併発で合併症を、そして脳梗塞、心筋梗塞、ガン、肝炎と若くして逝ってしまった。

こんな例を考えると「何で生きているの」等とほざいてはいられない。大半が50歳代前半で、もっともっと生きていきたかったであろうと「無念」のうめき声が聞こえるのである。
この無念さを考えると、彼らの分まで「しっかりと生きなければ」の発奮に結び付き、何としても人生120歳は彼らに対しての責任と思ってしまう。

何で生きるの!等の発想は「自制の壁」を突破出来ず、特に「食の誘惑」に負けた彼らの分まで生き延びる事が使命と、それにはしっかりと「人生120歳」が友人としての務めだと自分に言い聞かせ、その思考をポジティブに生かすのである。

どんな事でも「発想」が、その先への人生の道しるべと心得て生きていくことが最良と、頭にしっかり根付いている。

何で生きているの!ではなく「≪生きているのは感動≫と発想を変え、
生きる!と言うことは、その「感動を求める旅」であり、感動はどこにでも備わっていると信じ、後を振り返らず「ただ前のみを見て」前進がベストと思うのである。
超越と五感・・・どうも反比例?    2010年4月27日
歳を召される!と言う事は「超越」の心境に入ると言う事なのだろうかとツクヅク、考える事が多くなりました。

こんな考え方が頭の中から沸いてくるようになったのはいつの頃の事であろうか、振り返ると50歳の始めの頃からではないかと思います。

私の友人には特殊な能力を持ち合わせた方が存在し、彼の元には何時と無く全国、津々浦々から「相談」に訪れる方が押し寄せる。

その能力と言うのは「気」と言うエネルギーを持ち合わせ、悩んでいる方にそのエネルギーを「彼独自の方法」で注入すると、痛んでいた箇所が「直ってしまう」と言う現象を生む事ができるのです。

過去にある料亭のカンターでの出来事。
私とその彼と一緒に飲みに行ったときのこと、その「気」と言うエネルギーの話になり、私は一切、そんな非科学的な事を信じないと、大槻教授並みに主張し

今思うと、彼には随分失礼で無礼きわまる言葉をはき捨てた、と後悔しているが、しかし彼はそんな批判、気にもせず「真実」と、それを聞いていた、カンターの中で応対していた店主が、手を差し出し「右の人差し指」が曲がたまま、直らない・・・・・

彼は早速、彼独自の「呪文」を唱え、指をさするとその曲がった指は「一瞬に真っ直ぐに」。

さすがあれほど「信じられようか」と言い続けた私にとって思いもよらない光景を見せ付けられ驚愕!でした。他のお客さんがその「一瞬の治癒」を見て「俺も、俺も」と・・・。

腰に支障があり、「これ以上、手が床に向って下に行かない」と言う方に、体を海老状態にし、その腰辺りを摩りながら、例の呪文を唱えると、その腰は「柔らか〜く」折れ曲がり、しっかりと掌まで床に付いてしまったのです。

さすがこのような現象を目前にして「あっあっ!彼の言っている事は事実であると」信じざるを得ませんでした。

しかし、彼は曰く、
私の注入したエネルギーは時間に限界があり、ある時間を経過すると「元に戻る」とそれを永続するには再度のエネルギー注入が、と言う事でした。

これは数十年前の出来事で、それ以来、この件は私自身が「尊敬の目」で見るようになり、そして彼は何人からも「金品は受け取らない」主義でボランティアに徹しているのです。金品を受け取ると効用無しと言う事でした。

その後も友人として1ヶ月に何度も会う付き合い方で、相談に訪れる方は以前より更に増え「エネルギー注入」はパワーアップして、人助けもパワーアップしています。

このエネルギー注入の話とは関係の無い「超越」の件ですが、
50歳を過ぎてからその傾向が強まり、最近は特にものごとに対して「動じない」範囲が一層広まりました。

多くの今まででしたら立腹するような出来事は、大半が許せるようになり、また立腹する場面が少なくなったのです。

これを「超越した」とは言える否かは定かではありませんが、しかし歳を召される!と言う事と、何でも許してしまう!と言う事とは「連動」しているようで、私にとって「心の余裕」と、それは「良い思考発想」にと、ものごとを見る基準の変化に結び付いているように感じられるのです。

わが身の多くは「公開」していますが、この姿勢は50歳代から始まり、雑誌やTVの取材を過去に何度か受け、この時を契機に「別に人に知られても恥じる事は無い」と、
また基本的に誰でも信じてしまう本質を持ち合わせ、たかが一介の一般的市民、誰がそんな相手を利用しようぞ!と思うと、公開は一向に気にならないのです。

ただ持って生まれたエネルギーは誰にも負けないと言う「自負」があり、その背景には何度も死に直面した経験がパワーを生んでいると常々、思っているのです。

そして数度の死の直面は、所詮、捨てたも同然の命、何度も救われ、これも「超越」の心境を生んでいると思うのです。

歳を召されると「五感」が鈍く、麻痺し、美しいものでも感動!をしないと言う現象傾向を生み、この「鈍り」だけは防止しなければと

春夏秋冬に於いての自然的現象も「感動」を常に受けられるよう、その五感の先鋭化!それを研ぎ澄ます為にもあらゆるものに対して「出歯亀さん」の如く好奇心を、人一倍の努力を重ね、そしてその好奇心からはこころの感度を与えて頂けると信じるのです。

超越の領域と五感の鈍りは一体!と、

超越はある一種の「鈍り現象」と言えない事も無く、この「鈍り現象」が加齢と共に伴ってしまう、これを何としても防止するには、

目に飛び込んで来る全てのものを20歳前後の青春時代「アノ当時の感動」は如何であっただろうかと、対比し「己を見直す」のも、その「鈍り現象歯止め」の手段の一つと思い、その感動を必ず「言葉で発する」よう心掛けているのです。

その感動を言葉で発する事により、しっかり「脳の感動センサー」が機能を果すと思うのです。
朝、一番は「顔」のチエック     2010年4月24日
まだ多くの方が就寝中と思います。

朝、3時30分に高速道路へ!そして角館

昨日は9時に床に就き、1時30分に起床。これから東北道館林インターに向って高速に乗るのだが、休日割引1000円を活用し、盛岡か大曲インターへまっしぐら・・・・・遠くに行くに当たって1000円は有難い。これからかみさんを起こし女性は何かと「準備」があり、そして時間がかかるので男の私の様には行かない。

私の方は時間があるのでその間、この日記を書いている。

そう言えば男も身だしなみは大切である。

私の身だしなみは起きてすぐ顔を洗いそして歯磨き、口を濯ぐ、その時、舌の舌カスを軽く歯ブラシで取り除く。これは悪臭菌の駆除の役割を行い、口臭を防ぐ役割も果たす。

その時に鏡で「今日の顔の表情コンデション」をチエックです。まず笑顔チエック、明るく笑えるか・・・・表情筋、これはウォーキング中にいつもトレーニングを行っているが、百面相で顔の筋肉を柔らかくする。

そして、年を召されるとどうしても「妙な場所に毛が生える」この、余分な毛を排除です。

1、鼻毛さんは如何かな〜
多くの男性は鼻毛が1pも鼻からはみ出ていても気にしないと言うか、他人様が見ていて不愉快な感じを受ける事に神経を使わない方が時々見受ける。この様な部類に属さないよう、鼻毛のチエックである。

2、耳毛さんチエック
耳の中にはこれも若いときにはあまり無かったが、年を召されると同時に並行し、少しづつ生える量が増える。特に耳の穴の周辺は見えるので、これも除去である。時には「毛抜き」で中から長いのが生えて見える場合は、それも除去。

3、眉毛に混じる「白い毛」も除去
まだ私の場合はその白い毛はせいぜい10本程度で、これもまだ抜ける範囲である為に、それは抜いてしまう。

4、眉毛の整え
私の場合、放っておくと前村山首相の如く、鉛筆が乗るか!と思えるほど、長〜い毛のご登場となり、こんな事にならないようこれも朝一番のチエックである。

以上の顔の4点チエックは日常の習慣である。これは暦年齢とバイオロジカルエイジの関係で日記に書いているが、この事と大きく関連すので大切な事である。その時の内容は
http://smcb.jp/_ps01?post_id=1876035&oid=14051..

身だしなみについて今日は「顔」の部分に尽いてこんな程度であるが、年を召されたら、男であっても充分に注意し、毎日を過ごすことは「活きて行く張り、緊張を保つ」為には大変重要である。

次回は歩く姿勢や、年を召されると「体臭」がどうしても強くなる。これの排除にやはりオーデコロンを活用など、また「フアッションは知性」と思っているのでこの件も次回に記したい。

これから角館へ向って出発である。天候も良い方向で「期待が出来ない武家屋敷のしだれ桜!」であるが、別の楽しみ、喜びを発見してこよう。
マイフレンド、ありがとう。   2010年4月23日
人生は人と出会いの旅!そして出会いの「一期一会」を大切に!

これをモットーとしています。このモットーを生かそうとすると当然マイフレンドは必然的に人数が増え来ます。

このマイフレンドを増やして行く過程で面白い現象を発見しました。

98%の方々が快く受け入れて頂きましたが、2%の方にお断り頂きました。その際に不思議!と思えたのは

プロフィールの「掲示板」に断りの言葉を掲載されたのが不思議と思えました。

ミニメールは簡単にその返信が出来るシステムになっているにも関らず、掲示板に記すのは何故?と思いました。

掲示板にその断りを記した方々の文面は、あまり意味が無いので「削除」させて頂きましたが、しかしメールで返信頂いた方の少ないのは何故?と不思議に思うばかりです。

この行為が悪いとか良いとかの次元ではなく、ただ「何故掲示板?」と言う疑問でした。

マイフレンドとしてお願いした方々は、過去のコメントに私自身が「感激」した言葉を掲示板に記して頂いた方を対象にお願いに上がり、数値が示すように、多くの方が快く、受けて頂き、本当に感謝の極みです。

その過程の中で「面白い現象」と、感じられる事を記しました。

改めて「マイフレンドになって頂いてありがとう」と言葉を発します。
考え方で大きく変ります    2010年4月23日
おはようございます。

人生120歳!120歳!を目指して「元気の源」元気村的発想で・・・・

人生は人と出会いの旅!そして出会いの「一期一会」を大切に!これをモットーとしています。
このモットーを生かそうとすると当然、マイフレンドも増えるは必性、その元となる事は「感動あるコメント」を頂いたのが大きな理由でした。

オギャと生まれる以前の母のお腹の中にいる時から「生死」の境目を体験し、世に排出された後も「生死」の境目を何度も体験して現在に至っています。これはホンの一部を公開しているHPです。
http://www.ne.jp/asahi/azu/sin/asio/asio.htm

その体験をまとめようとしたらそれは何冊の本にもなるほどですが、しかし、親には感謝で一杯です。親の存在がありそして私があると考えるからです。
また私の幼き頃をよく知る方々は、野口英世以上の「いろりでの転落火傷」は、目を負うばかりの悲惨さで、これは生まれた間も無くの「生死」をさまよう第2弾でした。

私が物心をつく頃には「その火傷跡」はしっかりと痕跡として身体に大変なダメージを定着させ、しかし、私にとってそれは「生まれつき」と思って育ったが為に、大して気にもせず、持って生まれた「楽天思想」がノーテンキになれたのだろうと今に思うのです。

身体の一番目に付く箇所にその「火傷跡」はあり、当然、子供は正直で、それを見ればいじめたくなるのは必然、いじめにも合いましたがしかし、昔のいじめは現代のいじめと異なり、どこか思いやりを感じさせるイジメで、またそれを救ってくれる「救世主」が必ず存在し、そのイジメをいさめたのです。

今思うにそのイジメがパワーを造り上げてくれたとまた人よりも強い意思を与えてくれたとある面で「感謝」の気持です。

人は考えで向く方角が決まってしまうと常日頃、思っています。私は65歳、前期高齢者のジャンルに入りました。

しっかりと日本は高齢化の時代に突入し、私と同様の世代がそのジャンルとなります。そこで元気さを常に維持するのは、肉体はそれぞれ差がありこれはどうする事も出来ませんが、しかし考えは、その気になればネガティブにもポジティブにもなります。
それをどう考えるかで「大きく差」がでます。どうせ考えるなら、ぜひポジティブにと・・・

この一説は日記にもしるしていますが、ぜひ読んで頂きたいと願ってマイフレンド皆さまへのメッセージです。

ある医学博士の一説より
「人間には2つの時計があり、一つは暦の年齢、クロノロジカルエイジと言い1日24時間、1年365日と全ての人に平等な年齢。
もう一つは生物学的年齢、バイオロジカルエイジと言い、これは体の機能や健康状態から見た年齢の事で、人によってかなりの違いが見られる。
具体的には血管や脳神経機能、筋肉、ホルモンバランスなどその年齢を決定する重要な因子となり、つまり、これらの内面の機能が≪からだの張り、からだの動き、前向きな考え方、頭の回転の速さ≫などに反映する」

私達は暦の年齢は変える事は出来ませんが、暦年齢に従って生物的年齢・バイオロジカルエイジを積み重ねていくわけではありません。

暦年齢をコントロールは出来ませんが、バイオロカルエイジはコントロール出来るのです。

バイオロカルエイジが若い人は、若く見えるだけでなく「寿命も長くなる」と言う事をこの医学博士は学術的に証明しています。

あまり年齢に関係無く、これも考え方で向く方角が変るという、暦の年齢などは「頭から削除」してバイオロカルエイジは偶然でなく必然と考え、その「気」を持ち、精神に勝る者、全てを征す!で努力しましょう。

その結果は必ず『人より20歳若く見え、そして20歳長く生きられる』事は間違い無いと信じています。

その一つが
「食べ過ぎない、欲かき過ぎない、ものぐさしない」の三ナイ主義と心得ており、103歳の健康現役の存在です。
http://azusin1.fc2web.com/hdj1/103syouti-saburou.j..

人は新しい行動をしない!言い訳として年齢を持ち出します「もうOO歳だからやっても仕方がない」と。

60歳、70歳と言った年齢だけではありません。そもその「その考え方」こそが、老化の原因です。精神論だけではなくバイオロカルエイジに影響を及ぼす要因です。人生120歳、120歳、です。元気に考え方一つで「世の中開ける」です。

今日からは「もう歳だから!」は一切、排除!しましょう。
地球の歴史と人生!      2010年4月21日
この趣味人倶楽部に参加したのはなぜ?と言う疑問が生じ、今まで自らマイフレンドを決して求めようとしなかった。それには大きな理由があるのです。

最初に足を踏み入れた「コミニティが政治的ジャンル」で、この中にドップリと嵌まり、意見の異なる方々から攻撃を、時には誹謗、中傷と、私自身も攻撃を仕掛けたりと・・・・・

参加されている方々は、やはり「真面目な議論であるが為」に、それがエスカレートし激しさが増して来るのです。

面白いのですが、しかし、そんな議論に嫌気を指し、3月5日をもってそのジャンルから「封印」してしまいました。
http://smcb.jp/_ps01?post_id=1700623&oid=14051..

この趣味人倶楽部の参加者は「攻撃」が好きな方ばかり!と言うイメージが定着し、とても自らマイフレンドを求める気にはならなかったのが大きな原因でした。

しかし、自らの偏見思考では、一向に前へ進まないと、そして趣味人倶楽部の特性を得ることは出来ないと判断し、考え方を改め積極的にマイフレンドで輪を広めよう!と求めました。

人生とは、人との出会いの旅であると・・・・

この言葉に感銘を受け、この言葉の人生を歩もう!と心の中で誓ったのです。

人の一生などはたかが120年、しかし地球の歴史は如何であろう?現在に至るまで数億年と言う時が流れて地球は成り立っています。しかし、私たち人間は・・・・・

地球の歴史と対比し、その上で営む私たち人間の一生は「線香花火」にもならない、一瞬の光「閃光」程度で、まばたきしていたら見失うほどの「ほんの一瞬」です。

これを考えたら、下らない事が全て吹っ飛ぶほどの「大きな度量」が生まれて来るのです。

常日頃の悩みが、小さく見え「小さい、小さい」と、そしてもっともっと「大きくなろう」と言うエネルギーが沸いてくるのです。

この趣味人倶楽部は人と人の営みであり、この営みの中で知り合ったチャンスを生かさない手は無いと思えたのです。

積極的に色々な方と触れ合い、もっと大きな人間になりたいと希望に夢を抱いて、今日もマイフレンドの方々のすばらしい出会いに感謝し、素直にうれしく呟いてしまいました。
今日4月16日、雨。雨の場合は部屋でストレッチを軽く!そのストレッチが終わり、キーボードを叩く。

私の「足あと記録」に記した方への返礼ご挨拶発信!は私の趣味人倶楽部活動の主義で、記録が記載されている方全てに送るのを、夜寝る前か、朝の作業?終了後に発信するのを日課の一つに数えている。
最初の知り合う切っ掛け!が主な目的で、その発信内容は以下の通りである。



『何らかの足跡!には必ず返礼を主義としてます

人生120歳、120歳、60歳は人生の折り返し地点セカンドステージ青春第2章!と考え、食べ過ぎない、欲かき過ぎない、ものぐさしないは「長生き人生訓」と唱え実践中。人生は楽天、楽天思想で健康に留意し楽しく「熟成期」の青春第二章を歩みましょう。と言っても、OOOさんはOO歳で青春第二章へ突入!してますが人生、一期一会!です。よろしくお願い致します。』


この200字内の文章には常日頃、発言している事が沢山入り、中味は濃いものとなっている。

ご理解して頂ける方からは必ず、「返礼」が届く。返礼が大きな目的では無いのでそれには期待しないが、今後、その返礼頂いた方には、次のアクションに進みたいと思案中である。

その中味の濃さとは!
1、その気になれば寿命は120歳までOK。貴方も健康元気で120歳を!

2、60歳が人生のセカンドスティージのスタート
多くの方は60歳が一つの区切りと認識し、その区切りから新しい青春の始まり
「青春第二章」ですよ!頑張りましょうよ、と訴えかけている。

3、長生きの秘訣「三ナイ主義」を!食べ過ぎない、欲かき過ぎない、ものぐさしない
120歳まで寿命を延ばすには、節制と言う難関を突破!しない限り、それは無理と言うもの。
その思想をどこか頭の中に叩き込む事により、少しでもその「三ナイ主義」を実践して頂ければとの願いを込めている。

4、人生は楽天主義!
この「楽天」は、ストレス解消!が出来ればと願い、クヨクヨ考えてもろくな発想に結びつかない。青春第二章はポジテブに活きようと推し進めている。

5、熟生期はこれからと、
この思想の元は103歳で世界を股に!の昇地三郎さんが延べられている
「99歳までは人生の助走、100歳過ぎが本番」と、60歳からはそのプロセスで、こらからが人生熟生期と訴え。

6、人生、一期一会
一切の面識も無く、趣味人倶楽部のWEB上で知り合ったと言え、人の出会いを大切に!を込めている。

「意図としている事」が濃縮されたジュースの如く、詰め込まれています。この私のメッセージを受けた方、ぜひご理解を!また健康現役を続行希望であれば「即実践」です。

人生には後は無く、ただ前に向いて突き進む、これが青春第二章を楽天思想で歩む秘訣です。
今朝は“雨”ウォーキング無し     2010年4月15日
昨夜は12時に床に着き、3時、起床。1時間みっちり「朝刊熟読」。朝の散歩無しの為キーボードを叩く。

爆睡3時間はナポレオン並みで、頭スッキリサロンパス!とはこの事で、これからバイク倶楽部の会報つくりを始める。

この会報も1ヶ月に1回発行で、246号となる。1985年に1号が発行されてから26年目、几帳面にもズッと1号も欠かさず発行!は我ながら「ようやる」と褒めてやりたい。

ボランティ精神の賜物である。

1995年からパソコンで作成しているが、それまでは「手書き」で作成。手書き当時を見るとそれは、手書きの柔らかさ、はパソコンで作成さたものと異なる「味わい深い」ものがある。

何でもそうだが「継続は力なり」で、数十年継続は全てが己に「パワー」として、得られ己のエネルギーに変換され体内に蓄積される。3日坊主では何も得られ無い。

睡眠3〜4時間も中学生からの習慣で、これも大きなパワーを得られる手段と捉え、自己人生の要の一つである。多くの歳を召された方は「早起き」であるが、8時頃に「就寝」で早寝でもある。これではパワーを得られ無い、単なる「寝ボスケ」と解釈している。年寄りは「朝早起き」の典型で、

ごく普通のパターンである。しかし睡眠時間は習慣が「個人差」を生み、またその「長時間睡眠習慣」が、都合良い理由ずけ、私の睡眠時間と対比し、睡眠時間は個人差があるから・・・・・と。

どんな睡眠時間が一番、健康的かは、己の今まで歩んできた生活習慣で決まる。己の健全健康が一番保たれる時間、それがベストである。
嘆かわしい時代です     2010年4月13日
過去にも同様な日記を残したが、毎日、朝のウオーキングを約1時間ほどの時間を掛けて行っている。最近は日の出が早くなり4時30分に家を出る。

私の場合、毎日の睡眠が4時間か5時間が一番ベストタイムで、この時間よりも多く取ると「頭痛が伴って1日ボーッ」と過さねばならず、目を瞑って寝ている時間、正味4時間!である。

こんな生活は中学生頃からで、8時間寝る方と4時間しか寝ない私とでは一生の内にどれほど有効に時間が使えるか計り知れない差が生まれてくる。

床に着くのは夜11時30分か12時で、朝刊が届くのが朝3時20分、そして1時間くらいその朝刊に目を通し、雨戸を開けてから朝のウオーキングに出かける。

我がかみさんは私と大きく違うのは、しっかりと6時間の睡眠を取らねば「死んでしまうタイプ」で、それよりも早く起こそうものなら、1日ご機嫌斜めで、口も効かない!

そんなかみさんを起こさないよう「そっ」としておいての起床で、勿論、床に着く部屋は「別」である。

私自身が同じ部屋では「熟睡」できず、朝が早い!と言う事情もあり就寝する部屋は気兼ねなく「別」が、お互いに好都合である。

そんな朝の作業?が終了するとウオーキングに出発!

最近は、朝の挨拶「おはようございます」を発しない方が増えて来た。私は1日の始まり、挨拶から!とこれを徹底して行っており、だれかれ構わずすれ違う方には「おはようございます」を発する。

しかし、時には「挨拶の習慣」が身についておらず、返しの挨拶もなく「きょとん」として立ち止まり、私の顔をジッと見つめる方もいる。決して若い方とは限らない。

それなりの人生を歩み、青春第二章に踏み入れたのではないかと推測される方と・・・・・

これはその人が人生を歩んできて習得した、人との営みに対しての観念であり、批判はできないがこんな時代に突入したな!と思わざるをえない時代かなと認識するのである。

この趣味人倶楽部に於いても同様な現象は見受けられる。例えば自分のプロフィール欄である「足あと」に訪れた記録が残され、その記録がある方々に、足あとを残した事に「お礼コメント」を発信しても、2割一寸の方しか「返礼」無い。これがこのような場所に於いても「実態」である。

このコミニティの「場」であっても、コミニケーション無し現象は日常的に起きており、ウオーキングの際、こちらから声を掛けても「お返し挨拶なし」は必然性かなと、つくずくと思うのである。

人との営み「趣味人倶楽部はコミニケーションの場」と思っていたが、この実態を見て、意外で一寸違うかなと新たな認識を抱いてしまった。

しかし、「年寄りはこんな輩」が意外に多いが、これから日本を背負う30歳代前後は、「変な年寄り」よりも「人の営み」に対して、その営みの大切さを認識している方が多いのは、将来の日本への希望を持たせ、その暗示させてくれる事に「ホッ」とさせられる。

若いから、とか良く聞かれる言葉であるが、決して「若いからとか、まだ経験不足だから」とか一概には言えない現象が起きている。

年を召されているには、とか、経験豊かな割りには、とかこちらの言葉の方のが現代の風潮に適していると私は感じる。

歳は伊達に取りたくないなぁ〜とつぶやくこの頃である。
高遠のコヒガンざくら       2010年4月9日
何度か高遠は訪れているが、秋だったり夏だったりと「さくらの季節」は一度も無く、今回、どれだけすばらしいか、その感動を求めて訪れました。
10、11日の土日がピークと予想されていましたので、前年は大変な交通渋滞であった為、それを回避で、8日は宿泊し、9日の朝、7時30分には周辺の駐車場が確保できればとその時刻通りに駐車場へ到着しました。

予想をはるかに越えて、それはそれは・・・・

9日は金曜日「平日」と言う事もあったせいか、その時間では正面入り口、そばの駐車場に難なく止める事が出来、車はスムーズ走行で、予想した心配は肩透かし!大方の期待?を裏切ってくれました。

前日、通って来た国道19号沿線「奈良井宿」周辺は、まだ「冬の装い」で、高遠もこんな様子では、と心配していたのですが、そこと比べると緯度の違いで、伊那に入ると、一気に少し、ピンク色が濃い「コヒガンさくら」が所々で咲いており、オッ、これなら明日の高遠城サクラは心配無し、と胸を撫で下ろしました。

案の定、高遠の街に入るとあっちことにコヒガンさくらは、丁度見ごろの様相を呈してました。

高遠城では多くの花見の客で溢れ返っており、写真ポイントとなる場所では、塊りとなってその方角にカメラを向けていました。
大空高く、取材のヘリコプターがプロペラの音をなびかせホバリングをし、高遠さくらの美しさを、映像に収める最中でした。

ただ正面入り口の北側は6分咲き、高遠美術館前の「南側」は、満開で、ここはより一層の人垣、その美しさに酔いしれている様でした。

この美術館ですが、美術鑑賞を行わなくても「カフェ」は利用でき、このカフェから、さくら瑚ホテル方面の眺めもすばらしく、城内さくら見物散策で歩き疲れた時、休憩にはベストな場所です。

美術館の中でのカフェと言う事もあり、雰囲気も良く、トイレもきれいで、高遠のさくら見物に行かれる方には、お勧めの隠れたスポットです。

今年の高遠さくら見物に訪れる客が少ないのは、7年に一度の諏訪下社の神事「御柱祭」」でそちらに客が向いていると言う事のようです。
明日とあさってが高遠城のさくらはピークのようですが、昨年よりもその事情でそれほどの心配も無く、さくら見物は楽しめそうです。

やはり「高遠城のさくら」はコヒガンさくと言う事もあり、ソメイヨシノと異なり「ピンクが濃い」と、美しい感動を受けました。またそのさくらの密度も濃くて、ソメイヨシノのさくら名所とは趣が異なり、1度は見て感動!は心に残る一つに数えられます。

さて、24日25日と秋田「角館」と今回の「高遠城址公園さくら」とはどんな感動の違いがるかまた楽しみ!です。
いつも思うのであるが、日本人の熟年夫婦はこれが普通であろうと・・・・
かみさんと良く行くおしゃれなコーヒー店があり、いつも満席状態で時間によっては座れない時もある。

純和風建築、竜安寺の中庭に似せた造り、この雰囲気がそして本格的コーヒー立てが人気を呼んでいるのである。

フアミレスには無い高級感が熟年の方たちには憩いの場所として、心を癒してくれるのかも知れない。最も私もそんな気分を満足させてくれる場所として度々、訪れている。

同じ気持で熟年夫婦も訪れるのかも知れない。そんな熟年夫婦のウオッチングであるが、多くはひと言も口を効かず男性は新聞そして雑誌を、そして女性は携帯電話を見ているか、ジッっとしてどこか定まらない目線を向けている。

我が家のかみさん、私がそんな雰囲気を見せようなものなら「日本の熟年夫婦になり下がったのか」と言わんばかりな剣幕で、厳しい目線が飛んでくる。何の為にここに2人で来たか意味が無くなると・・・・

確かに話をするとき目線は、相手の方に向けてするのが、相手に対する思いやりでありマナーであるこ事、それを再認識させられるが、ともするとそれを忘れがちとなり、注意を受ける。

新聞、雑誌を一人で見たり読んだりしようものなら、「一人で飲んでて、私、帰る!」と店を出てしまう。やはりこれも育った時代の違いかなぁ〜と。そんな時代の違い、関係無いと妙な言い訳は、見苦しい・・・・

要は夫婦2人で訪れて、ポツリと一人で来て入る様な「疎外感」が大嫌いなのである。それはその通りと私自身が思っているので、かみさんの意思は尊重し、いつも何らかの話題を作り、会話が途切れる事の無い様にその店に滞っている時も、家とは違う雰囲気で議論をし又出来る。

熟年夫婦が無言のまま、またはそれぞれ異なった行為で過ごす光景を目撃するのは、このコーヒー屋さんとは限らず、レストランで食事をしている時も、多くの熟年夫婦はお互いに黙って「無言状態を維持」し食して席を立ち去る。

我が家のかみさん、絶対、あんな夫婦になりたくない!とハッパを懸けられ、私自身もそれには納得出来るので、レストラン、コーヒー屋さん等の「夫婦二人で向き合う公な場所」で、やはり途切れる事の無い会話を維持するには、常日頃の努力は欠かせないと思う次第である。

この光景は日常的にどんな形で夫婦は過しているか!ほんの一端が垣間見えるといつも思っている。

熟年夫婦2人の公の場所でのマンウオッチングで、その2人の行為が「日常生活の鏡」として写って見えるのはどこか面白く、良くも悪くも「これが日本の熟年夫婦の縮図」と言えるのであろうか!と考えさせられる。

歳を召される!

最近、つくづくと思い知らされる出来事が生じた。歳を召されるとこうも考えの柔軟性に欠け、思考停止される方が多い事かと、人生の折り返し地点に差し掛かる前後、またはそれを過ぎた方には、その傾向が強い。

人の振り見て我が振り直せ!と言う言葉があるが、他人様の事は良く、気がつくが、どう見てもその他人様より「劣る」と、客観的に判断しても、そんな輩に限って人の弱点が気になるようである。

歳を召されると、我が強く!とその我を指摘する奴ほど、己の「我の強さ」を認識しない、また分かっていないところが「滑稽」である。

歳を召されると「素直に人の話を受け入れられない」。これもどれほどその人にとって損失か計り知れない。誰が見ても、そしてその考えが人生にとってどれほどすばらしいか、万人が認める事であっても、認めず、何だかんだと言って難くせをつける。

認めたとしても、素直ではないから何か理由付けや屁理屈を並べ、しぶしぶとその論理を知ろうとするが、心が素直でないが為に、自分の物として吸収出来ない。

そのスバラシサを認めようとしない理由の多くは「環境が異なる」「もう歳だから」「育ちが違う」等と、そのスバラシサとどう見ても直結しない論理が飛び出す。

歳を召されると言う事は、多くの経験を積んで「人生の案内人」として何でも良いから、一つでもコレカラ歳を召される方に、助言を与えられる事が出来るか!と思うが、果たしてどれほどの輩が自信を持って「助言」を与えられるだろうか疑問である。

自己主張は大切であるが、それはTPOと心得る。歳を召された方はその経験に基き、場所をわきまえる事を十分過ぎるほど知り尽くしているはずが、それが出来ない。愚かである。

妙薬、口に苦し!で良い事は必ずしも己にとって都合良いとは限らない。それを完遂するには苦痛も伴う、そしてその苦痛が嫌で脱落し、歳を召された方の「独創的論理?」で、脱落の屁理屈を並べて自己弁護する。

歳を召されると言う事は、その脳の仕組み、脳細胞分裂のスピードが鈍化し、分裂停止イコール思考停止である。
ただ、自分の脳にしっかりと根付いている「既成概念を取り除く」事が可能であれば、脳細胞の分裂は蘇生される。

歳を召された方、今の己がいかほどか「胸に手を当てて」自己を見つめ直す事である。
「ハッ」と己の愚かさにいち早く気付いた方が、更なる人生を歩むに当たり、有意義な何かを得る事であろう。

歳を召された方、ゴミのような既成概念は「即ゴミ箱」へ!
素直な心で、ここで記したことを捉えられるか否かが、今後の人生に役立てるものと信じる。

歳を召された方よ、もう己の既成概念は陳腐化し、コレカラの時代には無用の長物として、単なる粗大ゴミに等しく、早くゴミとして認識し破棄せよ!

歳を召された方がどれほどこの思考を素直に望めるか、楽しみである。
貪欲な食!は危険がいっぱい。   2010年4月1日
昨日、同年代の友人が「緊急手術だ!」と悲壮な声で電話が入る。電話の声に、これはただ事でない!と察知し、色々と聞き出すと「睾丸癌」と言う話である。

1週間前にお茶を飲みながら世間話をしていた時は、そんな様子は感じられなく至って元気であった。

ところが昨日の「癌宣告電話」には驚いた。まさか!まさか!の驚きである。彼は5年前にもすい臓の手術をし、もう完治して安心していた矢先で、その電話の受け答えに何と話して良いか分らなかった。

しかし、バイクの宿泊ツーリングでも、その他に合って食をする時でも「食べ方が早い」のと、良く食べる。要は「食べすぎ」と言っても良いくらい食べる。

いつも「食べ過ぎない」「欲をかき過ぎない」「ものぐさしない」は健康長生き三ナイ主義」だよ、と言うのだが、一向に人の話を聞かないタイプである。

本当に飽食の時代、自己抑制でしっかりと自己管理を行わないと、つい食べ過ぎてこのような病に伏する結果が待ち受けている。

この10年の間で、私より若くして、53歳、54歳とこれも、飽食の時代の典型的病「糖尿病」による合併症発症で逝ってしまった。

私が人生120歳!120歳!と声を高らかに何処でもそして誰とでも合った時、唱えているが、人生の折り返し地点を待たすして逝くとは、悲しい事である。

何しろ「食べ過ぎない」「早喰いしない」・・・・口の中に入れたら、30回以上噛み砕く、の徹底が、病を防ぎ、元気健康で現役生活を続けられる手段といつも思っており、実践している。

この日記に目を通した方、人ごとではありません。現実に「食の誘惑」に負け、自己コントロー^ル不能で、癌や糖尿病を誘発する要因になる可能性があり、肝に銘じて活きよう。

睾丸癌の彼、痛みが激しくやむにやまれず病院へと、しかし、そんな痛みを伴う前に、一寸おかしい!と感じた時、スグ病院へ行けば手術せず、他に施す手立てもあっただろうと思うが、時すでに遅し!

医学の発達により「癌は早期発見」で、早く見つければその癌は克服できる。これも友人で前立せん癌であったが、完治した。こんな早期発見の前例があるのに、本当に残念だ。

急に体重が減って来たとその彼は言う。その手術が終わって、そこを切除し、他への転位がなければよいがと願うばかりである。
著名な教授とは知らず     2010年3月39日
毎日のスタート、それは「朝の競歩的ウォーキング」から始まる!

なんと言うコッチャ、今日は「雪」でござる。いざ家を出、玄関のドアを空けてサァ出陣だ〜と、一歩表の土を踏み出すとスキンヘッドのセンサーに冷たいもを感じた。

何だ、雨かよと独り言を言いつつまだ暗い空を見上げると、白いものがふゎふゎと・・・・ゲッゲッゲッ!その雪のせいか、やけに暗く、まだ真っ暗、夜明けも今日は遅そう。こんな天候の日、毎日の朝の散歩は取り止めに決定!するのでした。

毎日行う朝の散歩も、余りにも「義務感」が募ると、どうしてもストレスとなり、精神的な負担が増幅し、何の為に散歩するか「本末転倒現象」に陥る。時には雨や雪は休息日に都合が良い。
継続は力なり!であるが、休息日は必要であり、そんな休息日はこのような「雨や雪」の天候は都合が良い。

明るくなった表の景色は、まだそれほどの積雪では無いが、写真は庭に積もった雪でござる!

先日の朝の冷え込みに引き続き、寒の戻り現象で、この調子では今日一日、低い気温の陽気になりそうで、三寒四温とはよく言ったものだ!まさしく「春」を象徴する気候を形容した四文字、感性豊かな日本人であるからこそ、それを物語る語句は生まれたと思っている。

その感性だが、芸術面の感性を研究している日本の第一人者に私が愛用していた1967年製、英国車を一昨日の土曜日、27日に譲り渡した。

面識は当然、初めてでありそんな学者とはいざ知らず!しかし超一流大学の教授と、日本での有数な美術館及びそれら芸術性が高い、文化施設数箇所複数を兼務し、この70歳を期に全ての要職を離し、若かりし頃、愛用した同類型英国車を乗ってメカを楽しむと言って、その車に乗り関越道花園インターから帰路に着いた。

この教授のプロフィールを知る事となった切っ掛けは、家に戻り名刺をかみさんに見せた事から判明する。それは度々かみさんと訪れる美術館の館長である事を知っており、私はそんな記憶はどこかに飛んでしまっていた。

人一倍、記憶力が発達しているかみさん≪この記憶力が良いのは都合が悪い場合がある≫はしっかり憶えており、また公務員時代に何冊もこの教授の本を美術書の専門書として「蔵書」した記憶が甦り、氏名も思い出したのである。

グーグルでこの教授を検索すると、あるわ、あるわ、出版物は三桁数字にのぼり、そんな方であるからNHKの芸術性番組、美術に尽いての番組には度々、登場していたようである。

ただ、私の真っ赤なスポーツカーを乗って帰る事を想定し、フアッションも『心得て』の身支度はさすが、美的感覚の持ち主と感心したのである。
黒のシャレたスポーツジャケットに真っ赤なマフラーを首に巻いての登場!には、私も決しておしゃれに無関心の方ではないが、しかし、その教授はしっかりと、スキの無いフアッションが決まっていた。
超一流の女子大教授と芸術の研究者は70歳であっても、色彩感覚豊かで一寸違う!なと・・・・・

こんな偉大な日本でも数少ない芸術の研究者が、私のホームページを熟読し、私の人間性を把握した上で、所有していた英国車を「信用に元ずいて」現金とその固体を何のためらいも無く交換して乗って帰行った。

今までも所有していた車輌を自分でメンテをし、また完璧状態に仕上げると、もう手を入れる箇所がなくなり、一気にその固体から熱意が冷め、次にまた別の固体は欲しくなって来る。

この繰り返しで、お金を失っているはいるが、これが「生き甲斐」でビョウキでもあるから、制止する事は出来ず、この繰り返しを何十年もやって来た。

教授に渡った車の代わりの固体を、早速探さねば・・・・と、また教授退任後、車のメンテ手ほどきの約束があり、そんな学者が何処まで本人が言う「乗ることもそしていじる事も楽しみの車」として、大事にする!とは言っていたが、ホントかなぁ〜と思うのである。

他にもジャガー、BMW、フェラーリとウン千万円する車を所有し、そんな車と比較したら可愛い英国車を何処まで本気で維持できるか、今度、お会いした時は、その事が本当か「懸けなければ」と思っている。
今朝は冷え込んだ!             2010年3月27日
昨夜、12時に床に付いた。ところが2時頃、パトカーのサイレンと救急車のサイレンで、余りの近くで音が聞こえる為に目が覚めてしまった。本来、大きな地震でも起きない限り、殆んど目を覚まさないタイプであるため、このサイレンが余りにも耳障りであるが為に、目が覚めてしまったのだろうと想像する。
しかし、そのうちにまた寝込んでしまった。

4時ごろになると、もう春!という事でベットの上の布団を少なくしたせいか、やたら寒いのである。これは今朝、相当冷えたと思い、昨夜はサイレンで起こされてしまった、もうチョットと思っているうちに、ウオーキング出発時間となり、あわててベットから這い出した。

雨戸を空け、あまりの寒さに「霜」でも降りているのかなと外を見わたしても霜の気配はせず、少し、ウォーキング出発時間が遅れ気味であったので、急いで歯磨き、顔洗いを済ませ、いざ出陣!と。

なんと表は真冬かよ、と叫びたくなるほど「寒い」。吐く息も白い、春にありがちな「寒の戻り」のような現象を感じながら競歩的ウォーキングを進めた。
今日は歩くばかりでなく、道端に咲く花を見てそして撮ってと、いつもとは異なる作業をしながらの競歩的ウォーキングをしようと・・・

注意していると草花は沢山、春の息吹を感じさせ、楽しませてくれる。普段は気にもしないで、黙々とウォーキングに性を注いでいたが、あらためて自然の草花のたくましさ!を感じた今朝でした。

これからは草花の観察をしながら足を運ぼうと、もっともいつもその季節感を感じていたが、余りにも風景に溶け込んでしまい、ただ見落としていただけだ!と言い訳をしている自分の鈍感さを知った思いである。

写真の花は、雑草の如く、たくましく道端に遠慮がちに咲いていました。かみさんと違い、私は花の名前がトント分りません。
春だ〜朝の健康散歩                     2010年3月26日
私は1日4時間か5時間の睡眠で、もう直ぐ還暦5年生ですが、ここまで過してきました。朝起きてまず最初に行なう事は、顔を洗い歯磨きし、そして朝刊を1時間ほど読み、それから「強歩的ウォーキング」へ出発です。

この季節、朝5時と言うと明るくなり、太陽が昇らないうちにその競歩は終了させねばならないのです。それは紫外線を浴びたくないからです。
当然、季節により「日の出時間」が異なりますので、起きる時間も早まり、競歩のスタートも早まってきます。

桜が咲きそうな今頃は、5時頃スタートし、約4`のコースを40分前後の時間を掛け、競歩的ウォーキングは終了するのです。この時期の朝は本当に気持が良い。気持の良い事は即、精神衛生上「プラス」と思って、楽しんでいる!のです。

梅の花はもう終わりですが、今はこぶしの花が見ごろで、桃の花も咲き出しました。そして桜の蕾も、いま花ひらこうと大きく膨らんでいる時です。

ひしひしと春の足音を耳にしながらの朝のウォーキング、生きている実感を、ありがとうと誰に言うでもなく自然に口ずさんでしまうのは何故であろうか。

今、楽しく競歩している間、そんな事を考えると、その感謝は私を生んでくれた親に、そして今まで私を支えてくれた多くの人に「ありがとう」と・・・・
勿論、かみさんにもありがとうです。

かみさんに、親に、そして世間様にありがとうと、口ずさんでこの気分爽快感に浸れる朝は、行き交う散歩の方々と、だれかれと区別無く自然に「おはよう御座います」の挨拶が発せられ、更に足は軽く弾んでしまいます。

1日のスタートをこれほど気分よく、歩める幸せは生きている実感そのものと、この感性をいかに永〜く続けて行き、人生120歳!120歳!を達成するかが、私の向うところです。

春だ!と叫び、その空気をからだいっぱいに受け、朝一番の競歩的ウォーキングを済ませた「今」の私の心境を綴りました。
金太郎飴だ〜!      3月23日
昨日、埼玉県東松山市にユニー系列「アピタ」の郊外型大型店舗・ピニウオーク東松山・に、かみさんと行ってきました。家から40分ほどで、この郊外型ショッピングセンターは、暇で時間が在る時、すぐ出かける事が多い。

1時間では群馬県太田市・イオンシュッピングセンター、そして埼玉県羽生市・イオンショッピングセンター
更に一時間一寸が群馬県高崎市・イオンショッピングセンター
40分前後が埼玉県上里町・イオンショッピングセンター更に先ほどのピニウオーク東松山である。これは我が家からのその店舗まで要する時間だ。

しかし、店舗レイアウトは当然、どこも異なるが中に出しているお店は全てとは言わないが、大半が「同じ店」である。レストラン街と称される店も同様で、殆んどどのショlピングセンターに行っても、同じ物、そして同じものが食べられる。

これが「金太郎飴」といいたくなる所以である。

金太郎飴は何処まで舐めても「金太郎の絵」が浮き出てくるので、この郊外型ショッピングセンターは金太郎飴状態店舗である。
多くの消費者が、そして日本の各地で、この金太郎飴型店舗に酔わされている現実は、将来と言うか今も起きている従来の店舗が疲弊している社会問題に直結していると、感じる。

そんな事を思いながら、暇な時は出かけて何らかの買い物をまた食をしてしまうのだが、疑問を感じながら常に周辺の「金太郎飴店舗」へ足は向いてしまう。
このような金太郎飴店舗に尽いて大変な規制をしているのが長野県長野市と聞いてる。その規制も条例で定める理由が理解出来るような気がする。特徴が無い。

ピオニウオーク東松山が出展した場所は、昔から、嵐山から上尾市に行くには抜け道で、過去には良く通過した場所で、当時とても想像できない、田んぼばかりで、周辺は住宅も無く、ただ「田んぼが連なる関東平野とただ田んぼが連なる場所」であった。ところが一夜にしてではないが、突然「不夜城の如く出現」と・・・・

久しぶりのその≪変化≫に驚くと同時に、金太郎飴店舗は「中はどこも一緒」と思いつつ、その酔いについフラフラと足が向いてしまう。

そんな金太郎店舗も業績が悪化すると、裏に悲惨な惨状が待ち構えている現実を潜んでいる事も見逃してはならないと、つい思ってしまうのです。

まぁ、何も考えずノーテンキに金太郎飴店舗を楽しむ!これに限るのですが過去に流通業界の浮き沈みを見てきた者には、素直に楽しめないところがある。
懐かしい昭和30年           2010年3月25日
あらゆる街中、そして道路上で子供が遊ぶ情景、ごく普通でした。どの家も板張り、トタン屋根、平屋の粗末な建物、当時、普通の風景で、その風景に溶け込むような、今からみたら、たいそう貧しい様相を感じさせ、身に付けている服装。

しかしこれが当たり前であった。

わたしもこの当時は10歳、かくれんぼや鬼ごっこと、いつも通りの道路は子供の遊び天国で、ワィワィガヤガヤと多くの子供達は、日が落ちるまで遊んでいました。

それぞれの家には兄弟も多く、この遊ぶ中には必ず、弟や妹を引き連れて、またおんぶする紐で赤ちゃんを背負い、家の助けをする幼き子供達が数多くいたのです。

現代の子供のように「陰惨ないじめ」など、まず無く、仮にその様な状況が発生した時は、必ず、誰かが「助け舟」を出し、傷がつくことのないよう、子供同士で誰が教えたでもなく、良く考えて遊んでいました。

考えてみると、年の上の子供には必ず「ガキ大将」がおり、その大将がいじめが一人に集中する事の無い様に仕切っており、その手法をまた年下が受け継いで、次の「ガキ大将」が、先輩から見て教わったリーダーの役割を継承したと憶えている。

私も「ガキ大将」で、その資格を得るまで、いつも遊びは年上の先輩と共にして、その帝王学を身に付け、自然とリーダー格に収まった記憶ある。まだ使い走りの「修行の身」の頃、中には意地悪く、いじめる先輩もいたが、そのいじめに度が過ぎると、必ず、止めに「ガキ大将らしきリーダー」が救いの手を伸ばしてくれたのでした。

これは「弱いものいじめ」に対するペナルティと、そして強いものは弱いものを助ける!という精神をこの子供の遊びの中から習得しと記憶している。

今の時代はその子供同士の「群れで遊ぶ」と言う、裏通りの子供の遊び天国などと言う時代でなく、携帯電話、ゲーム機で「一心不乱に自己の世界に没頭」し自分だけの遊びが主流で、子供同士の遊びの世界から学べる「人としてのやさしさ、思いやり」が得られないのは、時代の流れ!だけで見過ごしてよいのだろうか、とこの写真を見て、つくずくと考えてしまいました。

しかし、子供ながら鮮明に記憶しているのは、このなつかしい風物詩、貧しくっても、子供それぞれの目はひかり輝き、未来への希望に夢を膨らませていた。
バイク人生、現役90歳!      2010年3月20日
10年前、あるドライブインで休憩していると、ハーレーを乗っている同類のバイク好き人物と遭遇した。色々と話をしていると年齢が79歳であることが分り、それには本当に驚いた!

その方は「79歳」にはとても見えず、私と同年齢くらいかなと・・・10年前だから私は55歳の時のである。
これは驚愕という言葉が当てはまり、しかし、その見た目も行動も20歳も若く見えた方は、やはり並みの生活ではなく「努力の賜物の結果」と知ることになる。簡単に言えば「OOし過ぎない」と、この言葉が全てだ!と言われていたのです。

細かい事は聞かず「OOし過ぎない」を肝に命じての実践が全てと、最もこれは私自身が日常、行なっている事で、この「見た目20歳以上若い79歳のハーレー乗り」を知ることにより、OOし過ぎない!の裏が取れたに等しいと私なりに理解するのである。

その20歳以上若く見える「79歳」のハーレー乗りとは行く方向が同じであった為、途中まで同行して分かれた。
この日は、何か宝くじでも当たったような「得をした日」として鮮明に憶えている。

しかし、世の中、上には上がいるもので、ごく最近、86歳のバイク乗りの存在が明らかになった。
ハーレー同様、360`もある重量の「ホンダGL」を乗りこなしている方がいると、この趣味人倶楽部のメンバー仲間が教えてくれた。

実を言うとハーレー倶楽部「晴旅人尊塾」を立ち上げて25年経過したが、
http://www.ne.jp/asahi/azu/sin/index.html
そのメンバーも設立時は当然若かったが、いま多くがシニアの領域に突入し、お互いに熟生期迎え、
何時までバイクを乗れるか!と何となく、ネガティブ的になりがちで

そんな時は「バイク人生、現役90歳」と元気付かせて来た。しかし、私がそのような事を言ってはいるが、果たして「90歳まで本当に乗れるのか?」と疑問に思いながら、激励しパワーを生むよう心掛けていた。

その自信をつけさせる根拠となる、この倶楽部で「86歳のホンダGL乗り」の存在が明確になる話を聞き、更に私が説いている「バイク人生90歳」が、事実である証明が出来た。
これは朗報と思い、早速倶楽部機関紙である「会報」に掲載する事にした。

今、70歳クラスが数人存在し、何となく「何時まで乗れるか」と、そんな話題をする方には、どれほどの元気と勇気が与えられるか、計り知れない「朗報」である。

過去の日記でも「バイク乗りは若い」と言う根拠を記したが
http://smcb.jp/_ps01?post_id=1210390&oid=14051..

NHK番組「ためしてガッテン」でも、過去に「脳の前頭前野」で、その刺激を与えるとどの様な結果を生むか!とその番組でも伝えた。
若さ!は暦年齢と見た目年齢がある!とこれも日記で記している。
http://smcb.jp/_ps01?post_id=653100&oid=140514

その若さを保つ根拠は科学的にも医学的にも証明されている背景を記している「日記」であるが、バイク人生90歳!はその努力、心がけで難なく到達させられる領域である事は間違い無い。

バイク人生90歳!そして人生120歳!人生120歳

スローガンだけでは決して無い、誰でも到達させられる領域である。それにはOOし過ぎない!を実践し、その膂力を怠らない精神が求められる事も必要と・・・・

人生120歳!120歳!
食べ過ぎない、欲かき過ぎない、ものぐさしないは「その到達点を得るヒントと心得る。
どのような形態のバイクであろうが、それは「緊張と先を読む注意」は欠かせない。1957年から乗り続け、53年間、バイクライフを歩んで来たが、
http://www.ne.jp/asahi/azu/sin/gazou/baikureki.htm
危険を予感した事は何度もある。しかし、その危険は、常に維持し続ける緊張感が多くは防いでくれた。

しかし、それでも気の緩みで細かい接触事故は2度ほど生じてしまった。またコーナーで滑って、対向車の下に「潜り込んでしまった事故」もあった。幸い、対向車が停止出来たので、せいぜい「足の骨折と脳震とう」を起こした程度で済んだ。

長い事、バイクに乗っていれば、多くのバイカーは細かい軽傷的事故は経験している事でしょう。
バイクは四輪と異なり、衝突事故を起こせば、体へのリスクは計り知れない、そして痛手を負う。だからと言って、一度「バイクの魅力」に取り付かれると、命に別状が無い限り、まずバイクから降りる!などという事はしないから不思議である。

私もコーナーで滑って、骨折し救急車に乗せられて入院となった経験があるが、もう二度とバイクなんか乗るもんか!等と言う考えは起きず、何であのコーナーで滑ったのだろう、怪我が直ったらまたあのコーナーを挑戦だ!と、次に挑むことしか発想がなかった。

しかし、バイクの魅力は「心地よい緊張感」と、常日頃、思っている。

この心地よい緊張感はツーリングから戻ってバイクを車庫に納めた時、一抹の清涼に浸り「ホッ」とするひとときを得る。この緊張感から解放されたひとときが何ともいえない癒しの心、これがクセになる。

もちろん、走行している時の「風や匂い」そしてその場での空気との一体感は、他の乗り物には味わう事の出来ない「バイクだけの特権」で、これも魅力の一つである。
私の場合、四輪と同様、走る事もバイクの自己メンテも楽しみの一つ、そして仲間と群れで走るのも楽しみのである。

バイク人生、現役90歳!を目標であるが、還暦5年生になり事故を起こして「かみさんにバイクはもう絶対、ダメ」と釘を押されぬように、体も精神も鍛え、そして「四方八方への気配り、そして緊張感の維持」と、常に危険予知能力に磨きを駆けて90歳を目標にしたバイクライフである。
平凡な生活の中での健康法を     2010年3月19日
この健康さ!は一体何処から来るものだろうか?多くの方は「わかっているけど止められない」が、ごく普通!

あと数日で還暦5年生である。50代前半は今までの「苦労した疲れ?」で、結構、体の体調がどこかスッキリしなかったが、その前半以降、体が軽く今、ここに来て更なるパワーが出てきた。

油断は絶対禁物である為、常日頃のペースを崩さず、食生活も食べ過ぎない、飲みすぎないを徹底して行っているが、しかし、時には「食べ放題レストラン」で、お腹が破けそうになるほど、普段の抑制?のストレスを爆発させる勢いで、ガツガツとむさぼる。しかし、1ヶ月に1回あるか無いかの回数であるため、体調に影響を及ぼす事はまず無い。

食べ放題レストランに行った翌日、朝食は勿論昼食を抜くか、それとも数枚のビスケットと豆乳を飲むくらいで、それ以降は本来のペースである。そのお陰で食べ過ぎても「お腹が痛くなる」等と言う事は生じない。

65歳になり痛くなるセンサーが働かず、センサー機能停止かなと不安に思ったりするが、しかし、普段の生活が「食べ過ぎない」に注意しているので、ごく当たり前と思う。

睡眠は過去に記したが、中学生当時から4〜5時間である。この睡眠時間は、かみさんといつもすれ違いでこれは困ったものであるが、お互いに自己ペースを保とうとする為に仕方ない事で、諦めの境地である。何分、睡眠を摂り過ぎるとその日は頭痛で、頭の中を引っかき回したい衝動に駆られる。

この睡眠4〜5時間が私のペースで健康の礎と信じ、目覚し時計並みの正確さで「一瞬の内に深い睡眠」と時間が来たら一瞬の内に「起床」である。これを毎日、繰り返している。

バイク倶楽部で宿泊のツーリングの時は、いつものペースの睡眠で、同室のメンバーがいつまでたっても寝ており、起床しないで困る時がある。そんな時は眠った振りして時が来るのを待つばかりである。

食事に尽いて
朝食は、りんご400g、人参400gを「ジュサー」に入れ、そのジュースと豆乳、そして数枚のビスケット、ただそれだけである。ジュースは半分、かみさんにあげしまい、この朝食は10数年続けている。勿論、初めから自分で作る。

昼食は、麺類が殆んどで、麺以外の場合は「軽いもの」に徹している。

夕食については、抑制せず、バランスを考えて量も種類もかみさんが料理したものを!しかし必ず「8時前」に済ませ、8時過ぎは、お茶などの水分を除いて、一切の固形物は食べない。これも今始まったことではなく数十年、このペースを守り通している。

運動は明るくなる前に4`ほどの距離を競歩的スピードで40〜50分の時間を掛けて歩いてくる。これは15年間、1日も欠かさず行っている。そして帰ってからは軽いストレッチで、無理せず、ストレスになるようなプレッシャーを感じる事のないよう、毎日、継続できる自分のペースで楽しみながら行っている。

まだまだ「ベストな健康維持生活法」は続くが、今日はこんな所で「つぶやき」は終了です。または次回に・・・・
老眼防止を〜半月振りのパソコン対面!  2010年3月1日
パソコンのモニターを凝視し過ぎて、目がやられてしまい、久しぶりのモニター対面です。

もう直ぐ還暦5年生を迎えようとしていますが、目は至って健康で、これも自慢の一つであったが、それが突然、疲れ目で「目やにと充血」がひどくなり、2月14日依頼、そのパソコン画面を「凝視する」事は止めていました。

今日は3月1日、久しぶりにパソコンとご対面し、日記の記載!です。
普段は眼鏡を掛けるのは、雨の夜、四輪や二輪に乗る時でありそれ意外は、眼鏡のお世話になる事がありません。

勿論、近眼であることが大きな原因ですが、新聞もそしてどんなに小さな文字でも老眼鏡は必要としないのです。近くを見るとき、その度に眼鏡鏡を必要とする方のご苦労は、察するところです。

私も仮にその様な状況に陥ったならば、不便そのものと思う事であろうと、感じるところがあります。

この目の遠近の調整はそれを調整する「目の筋肉の衰え」と言われていますので、この筋肉強化には風呂の中で湯に浸りながら、毎日、眼球を

上下、左右、斜め左右上下と、そして眼球を時計、逆方向へグルグ回し、更に眼球を「中心寄せ」動作を!

この動作を毎日、風呂に入る度に行っているのも「老眼防止効果」と思っています。30歳代の後半から目の衰えは「一切無い」と自負しています。

しかし、今回の「目やにと充血」には一寸驚いてしまい、これはパソコン画面の凝視し過ぎ!といち早く気付いての、パソコンは必要以外に「見ない」を貫き通した事が功を奏して、その疲れ目は回復しました。

老眼防止対策の「眼球筋肉運動」は、必ず効果を上げると信じていますので、この日記をご覧の方、ぜひお勧めです。ただし毎日継続する事です。私は15年目の継続です。
セックスレス
日本ほど性に対して「寛大な国」はありません。浮世絵の春画、最近の漫画やラブホテルなどセックスについて自由で他の国と比べてより発達しています。しかし日本人の夫婦の3分の1は1年間に1度もセックスをしなかったと過去の統計に出ています。

こんな性に対して寛大な国であるにも拘らず、夫婦間の年平均性交渉回数は世界最低クラスである。フランスは常にランキングで1位を示し、「セックスのチャンピオンなのだ」と。アメリカでは結婚の際に1週間に何度、性交渉を行なうかとその回数を条件に付け、これが守られない時は「離婚対象」となると言う事を聞くが、その夫婦間では大変重要な要素である。

日本の人口は現在の出生率を推移していくと2050年には現在の人口の半分になってしまうと言われます。このセックスレスと言う日本人の性行動は危機的状況で、皮肉にセックス産業は世界で最も発達した国であるが「夫婦の性生活」となると何と貧弱か、これも出生率を低くする根本の一つと見るのは私ばかりであろうか。

セックスが科学的に健康に良い!と証明されており、ホルモンの分泌にもそして人間生活のバランスに、食べる事以上に重要な位置を示し、生きて行く上で大変、重要です。しかしセックスレス夫婦の数は増え続けている。

あなたのバイオロカルエイジ(生物学的年齢)は幾つ?
ある医学博士の一説より
「人間には2つの時計があり、一つは暦の年齢、クロノロジカルエイジと言い1日24時間、1年365日と全ての人に平等な年齢。
もう一つは生物学的年齢、バイオロジカルエイジと言い、これは体の機能や健康状態から見た年齢の事で、人によってかなりの違いが見られる。
具体的には血管や脳神経機能、筋肉、ホルモンバランスなどその年齢を決定する重要な因子となり、つまり、これらの内面の機能が≪からだの張り、からだの動き、前向きな考え方、頭の回転の速さ≫などに反映する」

私達は暦の年齢は変える事は出来ませんが、暦年齢に従って生物的年齢・バイオロジカルエイジを積み重ねていくわけではありません。
暦年齢をコントロールは出来ませんが、バイオロカルエイジはコントロール出来るのです。

バイオロカルエイジが若い人は、若く見えるだけでなく「寿命も長くなる」と言う事をこの医学博士は学術的に証明しています。

1940年代生まれの方々、暦の年齢などは「頭から削除」してバイオロカルエイジは偶然でなく必然と考え、その「気」を持ち、精神に勝る者、全てを征す!で努力しましょう。その結果は必ず『人より20歳若く見え、そして20歳長く生きられる』事は間違いありません。

その一つが
「食べ過ぎない、欲かき過ぎない、ものぐさしない」の三ナイ主義と心得ています。

人は新しい行動をしない!言い訳として年齢を持ち出します「もうOO歳だからやっても仕方がない」と。
60歳、70歳と言った年齢だけではありません。そもその「その考え方」こそが、老化の原因です。精神論だけではなくバイオロカルエイジに影響を及ぼす要因です。

今日からは「もう歳だから!」は一切、排除!しよう。
若さの秘訣はバイクだ!
“自動車は快適に移動できる空間だが、オートバイは倒れないようにバランスを取る必要がある。人の体がむき出しの状態で、常に緊張を強いられる乗り物”

と説明するのは川島隆太・東北大学教授です。学会報告ですと四輪車の運転は「前頭前野」が余り働いていないが、二輪車は常に緊張感を保ち、情報処理が強いられるので「脳が活発に働く」と川島教授は述べています。

これを裏付ける様に「バイク乗り」は身も心も“若い”と、1957年からバイクに乗り続け、バイクは生涯現役と「ライフワークの一つ」に数え、25年間の倶楽部活動の中から、倶楽部員の姿を見続けつくづくと思うのです。

老いが・・・と考えるようになったら「それは老いの始まり」で、それを打破!するには二輪車を乗り始めよう。二輪車であれば排気量に関係無く、加齢が防止できる。自転車ではありません。50t以上ある排気量のバイクです。

バイクは今も現役バリバリで1985年に設立したハーレーダビットソン同好会「晴旅人尊塾」は、設立当初からブレルことなく活発な活動を続け、2009年で平均63歳のメンバーは、それは「若い」と実証できます。どんなに若い!か、その若さを写真でとくとご覧下さい。
http://www.ne.jp/asahi/azu/sin/index.html

これはその活動の記録です。
http://www.ne.jp/asahi/azu/sin/85kara95kiroku.htm

老いを感じたら「バイク」です。脳の前頭前野を刺激し、フットワーク軽やかに、人生120歳!1120歳!です。
毎日、早朝「4`早足ウォーキング」!
以前は毎朝「走り」でしたが、1995年からは「早足ウォーキング」に切り替えました。それ以降、雨の日を除いては欠かさず続けています。
1999年に「脳手術」と言う、原因が不明な症状で「血を抜く」施しを受けましたが、それ以降は「偏頭痛」も収まり快調そのものです。その傷跡
http://www.ne.jp/asahi/azu/sin/azuma/atama-azuma.j..

元気な源
http://www.ne.jp/asahi/azu/sin/azuma/sukinn.htm

ただ肝機能が人より劣る!のでアルコールには充分、注意を要しますが、しかし毎日のウォーキングは「新陳代謝を高め」て、冬の寝床はこれも要注意!です。すぐ布団を蹴飛ばし風邪の原因を招くからです。

ウォーキングばかりでなく軽いストレッチも怠り無く継続し、筋力の衰えを防止すよう努めていますが、しかしこれを行う事でストレス蓄積では意味が無くなり、必ず「楽しく」が基本と思い、毎日欠かさず実施です。

睡眠時間が平均4時間!私にとって「ベストタイム」でこのつるべ落としの時期は朝5時30分からが「ウォーキングタイム」です。その前にPCチエックで1日の始まり〜、です。

昨日まで(2009年10月29日)夫婦でお出かけシリーズをテーマに日記スタイルで公開してスタートしたが、資料の膨大さで収拾がつかなくなり、一端「削除」して他の方法を模索する事にした。
この場をお借りしてその日記にコメントして頂いた方々にお詫びを申し上げたいと思います。
2009年還暦4年生は睡眠平均4時間!
いつも思うのですが「睡眠8時間を取らないと生きていけない」と言う方を見たり聞いたりしますが、本当に8時間も取るのでしょうか?

中学生の頃より4時間くらいが平均で、現在に至ります。しかし最近は「5時間を取る」様にしていますがそれでも過去の習慣により、4時間も寝るとその後は「うつらうつらと起きるためのスタンバィ状態」です。なかなか5時間の睡眠を取るのは至難の業!です。

しかし、寝つきの良さは天下一品!で床に入ると「一瞬のうちに気絶状態」です。
いつの頃からこの寝つきかな?記憶を蘇ると、中学生の頃は覚えていますが実際はもっと前からこの状態だったのではなかったかと思います。

睡眠とは?
寝ている時間ではなく、中味の濃さ、と言います。私の場合は「一瞬のうちに深い眠りに入る」と言う理想的な睡眠形態と思われ、その結果、4時間で平気!と言う1日の睡眠時間です。

8時前後と4時間前後の睡眠時間を比較した場合、4時間の差があり、その差が色々と豊かな人生が送れる時に役立っていると信じています。
私のエネルギッシュは全て「睡眠」からの起因で、効率が良く、これほどの理想とする「熟睡」は無いと自負しています。

体の形態が「イチロー」と殆ど一緒で、体脂肪がイチローは「7」ですが、私は「10」です。人間ドッグに於いて悪い数値は「皆無」です。還暦4年生としては驚異的な数値!で医者も驚くばかりです。

脳ドッグに於いては「脳梗塞の巣」は30歳並みで、これも脳外科医は驚いていました。
睡眠は個人差があり、自分がそうだから!と言って他人に当てはめる事は謹しまなければなりません。

私自信は「メタボやデブ」とは常日頃の節制と訓練で無縁のものですが、ただ年齢と共に健康は今まで以上に配慮しなければならない!と常日頃思っています。

食べ過ぎない、欲かき過ぎない、ものぐさしないの「長生き3ナイ主義」を実践し、メタボにならないよう、医療費負担には極力、配慮した「人生」を送りたい。

写真は直近の体型
体重67`、体脂肪11、体内脂肪7、慎重178p

誤解しないで欲しい。自慢を述べたいるのでは無く、同世代で「健康」に感心のある方、無い方でも食生活が豊かな時代は、一寸の油断!が健康を害する結果を招く場合があるので注意しよう!と・・・・
ただ長生きの条件は「一寸太め、で高血圧」の統計が出ているので、イチロータイプはどうか?と。疑問です。
男の宿命!前立腺肥大が完治
男の宿命である「前立腺の肥大化」は避ける事が出来ず、私もご多分に漏れず5年前、それが原因で「おしっこの切れが悪い」「出そうで出ないおしっこ」「出終わったと思って一物を仕舞いこむとパンツの中でたらたらと」と言う現象が起こり、お医者さんへ!

そこで診断された事は「男の宿命、前立腺の肥大」そして渡された薬はこれから一生、お付き合いしなければなりませんと・・・・・・・この時、若い!と思っていた自分に「年寄り」と烙印が押され「あ〜ぁ!」とため息が出るばかりでした。渡された薬を見て、これとこれから先、一生の付き合いかよ!と。

しかし、そこでへこんでいないのが私の性分、前立腺肥大の関する書物を読み漁りその結果「りんごとニンジンジュースが一番」と言う究極の処方を見つけました。それはりんご200グラム、人参200グラム、合計400グラムの「人参とりんごのミックスジュース」を毎朝「朝食」として飲む事でした。

毎朝400グラムの人参、りんごを「ジューザー」にかけ、勿論その時に出る「カス」は捨てますが、朝食はその400ブラムの「ジュースだけ」時には「市販の切り餅」を一切れと「無調整豆乳」を200tを口にしますが、これを5年毎日、続けています。その結果、前立腺の肥大化現象はすっかり「解消」してしまいました。

朝食はジュース生活を続けて「3年目」にはすっかりと、若い当時と変わらない生活!に戻り、前立腺、何!それは「ジュースを自分で作って毎日飲む」これに尽きる!と悩んでいる方に教えています。

あれ程に医者から「この薬は欠かさず飲んで下さい。飲まないと更に悪化します」と言われた事が嘘の様です。あれから5年で「ミックスジュースのお陰により前立腺肥大化現象」は完全に解消!バンザイ!バンザイ!

男の宿命!などと諦めず「良いと思う事、そして日常継続出来る事」には挑戦して、克服しよう。最後はヤルキがあるかどうかが決め手です。

同じ現象で悩む方、私のようなケースで克服して「更に若さ復活」で青春第二章を謳歌しましょう。2009年で還暦4年生、肥大化現象がでたのは59歳でしたが、今は「10代や20代と変わらぬおしっこ現象」で、完全に完治で

す。りんごと人参ミックスジュースは「効用は他にも沢山ある」ので、これは今後も死ぬまでジュース生活は続けます。
気を付けよう!何気ない懐古的話題が・・・・
20年以上も前を懐かしがる!これってもしかしたら「痴呆症の始まり」でないのと・・・・・
私はいつも思うのですが、痴呆症になると過去の話を何度も繰り返し、周辺の方々を困惑させると聞きます。脳が一番元気の時にインプットされた記憶は消滅する事無く、そのまま残り、その「記憶」だけが、痴呆症、認知症を患った方には甦ると、これは日常、訓練する事により解消できるものと信じています。

そんな訓練とは、20年以上前の過去を振り返るような「話題」の中に踏み込まない!
これは、『思い出』程度であれば問題は無いが、ただその当時の事をテーマにして、デスカッションや議論して盛り上がる事は避ける。なぜ避けるか?
それは一番、脳の働きが活発な年齢時に記憶された事が更に進化し、より強く脳裏に焼付いてしまうからです。直近に見たり聞いたりした事はインプットされず、その過去の20年以上の事だけが際立ってしまうと思うからです。
同窓会程度での「話題沸騰議論」でしたら、そんなに問題は無く、せいぜい1泊で行ったとしても「一つのテーマをカンカンガクガクの議論」を何時間も等とはまずあり得ません。そして同窓会実施の多くは3年毎や5年毎開催ではなかろうかと思います。
特に注意しなければならない例えの話しですが
映画とか音楽とかの議論はゴクゴク最近の1〜2年前程度での作品をテーマに、『良かったとか悪かった議論』を楽しむべきと思います。懐古的な「懐かしい事をテーマ」にする事は絶対避ける!べきで、要は「新しい事」に気持を振る努力が、痴呆や認知症を避けられる手段と信じているのです。
訓練はこの真近な事、政治でも文科系話題でも、何しろ直近の事の話題を見つけ出して日常的話しを行う!くせを、言い換えればそのようなことを「日常的に訓練」すればよいわけです。
多くの方は健康を条件に「長生き」したい!と言う願望は誰もがお持ちでしょう。これは年嵩が増えればさらにその願望が強くなるのが人の常です。
特に60歳以上の方、懐古趣味的話題の議論には近寄らず、避けて遠ざかり、自ら進んで「直近の話題」を率先して行うよう心掛けましょう。
将来、更に歳を経た時、同じことを繰り返して他の方から嫌われたり、また『懐古的記憶』だけが脳に残り、それ以外はきれいさっぱり削除され、認知症や痴呆の認定患者になる事のないよう、日常的な「新しい話題」を脳に残す努力が欠かせない!と信じ、私自身も今までそうであったが、更に「その訓練」に磨きを駆けたい。
悠々自適な生活環境下、ネットサーフィンで暇な時間を費やしている時には特に注意が・・・・
「懐古趣味的テーマ」の輪には入らない。一番脳が活発な時に記憶した事柄は、記憶抜群ですので「話題提供」し易いでしょうが、そこに落とし穴が待ち構え、ドップリと嵌まってしまい、これが危険!と考えますので、そんな時には必ず「直近のテーマ」に切り替える事が重要と思っています。
信じる、信じないは貴方の判断、何しろ「過去を振り返る話題」は避ける事が、エンドレスの如く、「遠〜い昔の古い話を繰り返す発言」を避ける手段と思っている一人です。
還暦4年生はまだ懲りません・・・・反省!
この文章は1991年6月13日にバイク同好会の「会報投稿」したものですが、賞味人倶楽部、みんなの日記カテゴリー「日常」へ再掲載です。

『これからの文章は自分自身、自戒を込めてとメンバーの方々への警鐘を含めて記しています。バイクに付いては次回に・・・・
車に乗ると人が変わってしまう!と言う話を聞くが私もその1人かも知れない。1959年14歳で「原動機付き自転車」許可証、16歳で自動二輪免許、18歳で普通自動車免許証を取得してから、国にどれほど奉仕したか、記憶しているだけでも行政処分5回、取り消し寸前の「聴聞会出頭2回」そして、最近の違反は29`超過の速度超過である。幸い?な事に2年前に道路交通法が変わって30`超過が「行政処分」となる為、減点2点で済んだ。当然「反則金」は支払わねばならないが・・・・
覚えている処分だけでもこれほどであるから、事故!は押して知るべし、である。今年の1月11日迄にスクラップにした車が4台。
まず一台目の全壊事故は子供が生まれた日であった為に良く記憶している。昭和47年O月O7日、熊谷に於いて停車中の11トントラックに潜り込んだ事故、使用不能にした車はサニーGX1400、二台目は49年12月、国道254号の小川町と嵐山町の境で、はみ出し禁止走行をして小型トラックの横っ腹に激突し、セリカ1600GTはメチャクチャでスクラップである。三台目は56年元旦、田舎に帰郷中の事故であった。これは相手が信号無視!で交差点に進入し、エンジンルームと運転席が真っ二つに分離し、これもスクラップであった。この時はかみさんと子供が同乗していた為、後遺症が心配であったが、その時、頭にコブが出来た程度で済んだ。ただスカイライン2000GTは走行1000`程の新車であった為、それなりに保障をしてもらった。その後、スクラップにするような大きな事故は起こしていなかったが「天災は忘れた頃にやって来る」のたとえではないが、大変恥じす事であるが、4台目の「破壊事故」を今年の1月10日にやってしまった。スキーに行く途中、朝4時40分頃、赤の点滅信号中の交差点で発生させてしまった。これもスカイライン2800GTはスクラップ化である。
この他にも細かい事故は取り上げたら切りがない。スピンして電柱を折ったり、田んぼに飛び込んだり、土手から河原に落ちたりと、可愛らしい事故は年中行事であった。
しかし、全壊事故はこんな生やさしいものではない。全壊車輌を見たならば、良くぞ生きていた!と驚きの言葉を誰もが放つひどいもんである。こんな事故をご丁寧に何度も起こし、無事である、と言う事は「事故のショックは壊れた車が全てを吸収」し、そのお陰で身体への影響に及ばなかったと思っている。破壊された事が「身体の保護」に結びついたと都合の良い解釈をしている。
九死に一生を得た経験は、今、メンバーの方々と走行する上で、安全第一に大いに役立っていると自負しています。安全第一を考えられない場合は、どしどし指摘し、安全走行上の統制を乱す方がいた場合は脱会を促します。この事を念頭にして、これからよろしくお願い致します。』

思い出の事故で破壊した車輌
http://azusin1.fc2web.com/kurumareki2/kurumareki2...
後から思い出した大破事故はもう一台あった
昭和45年の事、ブルバードR411型で当時モータースポーツ愛好家の間では垂涎の的となっていたスーパースポーツセダン(SSS)でした。1,595cc,90ps、SUツインキャブで最高速度160Km/h、0‐400m18,2秒の俊足で、オーバースピードによりコーナーからはみ出して民家のブロック塀に当たり、大破してしまいました。フロントのサスペンションは折れて「走行不能」そして「修正不能」で、スクラップ同然になってしまいました。
この車は思い出としてどうしても欲しくなり、2007年7月までワンオーナーとし「5」のシングルナンバーを付け、走っていたものを入手し、オールペイントしたものです。
http://azusin1.fc2web.com/sss/sss.html

晴旅人尊塾長コメント
2009年10月であるが還暦4年生は相も変らず「国に奉仕」をしています。2月に圏央道でスピード違反、反則金18,000円納める。7月、関越道上里SA付近でやはり「覆面パトカーに御用!」でした。最近は違反の大半が高速道路上で発生し、速度超過が全てです。いつになっても「懲りない親父」でゴールド免許証などと言う事は「夢の夢」で反省しきりです。

最近の道路交通法違反による「反則キップ」は?もう懲りた!と思ったのに。
http://azusin1.fc2web.com/porsche/2005/02/ihann.ht..
クルマ、バイクはホビーだ!
車はホビーだ!と言う考えの元で、自分の車は自分でメンテを実践して楽しんでいます。
初めてハンドルを握った車が昭和37年、プリンススカイラインデラックス、そして初めてバイクにまたがったのが昭和32年、ポインター50cc、それ以来、バイクと四輪はライフワークです。ごく最近までフェラーリ328を、そして最近はブルバードR411、SSSを、入手して楽しんでいます。

バイクは倶楽部を運営して24時間メンバーを募っています。興味がある方こちらをご覧下さい。http://www.ne.jp/asahi/azu/sin/index.html

昭和37年からの四輪暦が・・・・
http://azusin1.fc2web.com/kurumareki/kurumareki.ht..
バイクは昭和32年からのバイク暦が・・・・・http://www.ne.jp/asahi/azu/sin/gazou/baikureki.htm

そして最近の四輪の経過が・・・・・http://www.ne.jp/asahi/azu/sin/azuma/porushe.htm

車もバイクも「いかにお金を掛けず楽しむか!」を信条として、最初は程度の悪い固体を入手し、2年間くらいかけそれを仕上げていく、これが何ともいえない楽しむ、やりがい、生きがいです。
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