2009年9月13日
足尾歴史資料館に「義理の兄さん」が!
本人が存在していた訳ではありませんが、ガソリンカーの「パネル展示」に、そのガソリンカーを運転している姿の写真が・・・・・
当時、足尾にはガソリンカーと称してガソリン機関車が走行し、その運転手であった義理の兄さん、当時18〜9歳であったと思われます。
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しぶりにかみさんと足尾〜日光と日帰りのドライブに出かけました。オヤジの墓参りを兼ねての走行でしたが、時間の関係で「切幹の家」には寄らず、掛水倶楽部〜日光≪明治の館≫〜市内と、散策をして来ました。
安らかな眠り!に着いている親父の墓、元気な頃の親父の姿が目に浮かぶ。好きなお酒を捧げその姿を偲ぶ。
足尾歴史資料館
この中に「義理の兄貴」の上の写真が展示されていたには驚き!そして係員にその事を告げた。
足尾に住んでいた者なら「懐かしい場所」で、通洞、足尾、この両駅共に、昔のままで「タイムスリップ」した妙な気分であった。
最近、公開されている「掛水倶楽部」。明治の中ほどに建てられた歴史的建造物で、これも古河鉱業内での「権威の象徴」、重役クラスが交流の場として、当時の繁栄の1ページを司る歴史的遺産である。
外観はもとより内部も当時の西洋建築の特徴を見るつくりで、一部カフェとして営業。南側の窓からは対岸の国道122号線が良く見える。
階段の踏み板の「幅」が違っており、おもしろい。何故かは行って見て確認を!
日本の銀行を創設し、そして日本経済の石づえに尽力した「渋沢栄一」の真筆。深谷には渋沢栄一「青淵記念館」がある。
足尾銅山経営にも参加した「渋沢栄一」
時を同じくして建てられた日光「明治の館」。終戦まもなく、外務大臣を務めていた重光葵が、当時彼の別荘として使用し、その終戦処理で、1945 年8月東久迩宮内閣の外相となり、9月2日降伏文書調印の全権として米艦ミズーリ号で調印。調印式にこの別荘から発ったのは有名な話。
ここのチーズケーキは絶品で、霧降の滝そば「山のレストラン」も同じ経営で、同じものを食する事が出来る。バイクで訪れた時の様子で滝の眺望は一見!です。
日光市内散策!久しぶりです。東照宮周辺は良く訪れますが、駅から神橋にかけての街並みも、風情ありいいもんです。
元公務員であったかみさんは後の建物「日光市役所」を見て、市役所時代を思い出しているのかなぁ〜と。
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